天井桟敷日記

「天井桟敷からの風景」姉妹版

STILL LIFE ブラームス 渥美清

有料チャンネル無料放送、題名に惹かれて録画、昨日鑑賞したが、邦題はイカン、原題STILL LIFEが内容に即している。

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http://www.bitters.co.jp/omiokuri/sp/


役所の下請けで、孤独死した人を送ることが主人公の仕事。死者の身内、縁者を尋ねて埋葬に参加するよう頼むのだが大抵は彼一人だけが参列して葬儀は終わる。そんな彼が役所にリストラされてという物語。


ところで、東梅田教会オルガンミニコンサート、秋のシーズンが30日から始まる
http://www1.odn.ne.jp/higashiumeda/pipeorganminiconcert.index.html
今回のテーマはブラームス最後の作品
11のコラール前奏曲 作品122
1  わがイエスよ、われを導きたまえ (Mein Jesu, der du mich)
2 最愛なるイエスよ (Herzliebster Jesu)
3 おお世よ、私は汝を去らねばならない (O Welt, ich mußdich lassen)
4 わが心の切なる喜び (Herzlich tut mich erfreuen)
5 おお愛する魂よ、汝を飾れ (Schmücke dich, o lieb Seele)
6 おおいかに幸せになるか、汝ら信仰厚き者よ (O wie selig ihr doch, ihr Frommen)
7 おお神よ、汝やさしき神よ (O Gott, du frommer Gott)
8 一輪の薔薇が咲いて (Es ist ein Ros' entsprungen)
9 わが心の切なる願い (Herzlich tut mich verlangen)
10 わが心の切なる願い (Herzlich tut mich verlangen)
11 おお世よ、私は汝を去らねばならない (O Welt, ich mußdich lassen)
コラール前奏曲とは本来、教会の会衆がコラールを歌う前に演奏されるものだ。ブラームスの作品は古いコラールを定旋律に用いているが、教会で歌われることを目的にはしていないという。いわば演奏会用コラール前奏曲だ。1896年5月20日のクララ・シューマンの死後、古いスケッチを元に約2ヶ月で作曲されたとされている。
ブラームスフリーメイソンでその不信仰をドボルザークが嘆いたというが、死を前にして何を思ったろう。1897年4月3日死去、享年63歳。おお、その歳はとっくに過ぎた。
http://doyoubi.hateblo.jp/entry/2018/12/21/054903
この予習を今朝から始めたのだが、ブラームス最後の作品を予習する前日にこの映画を見るなんてご縁やなあ。まだまだ30年は生きるつもりやけど、どんな最期になるかぼちぼち考えなはれということかも。
そんなことを思っていたら寅が帰って来た。

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先日、フーテンの寅さんを演じた故渥美清さんが、亡くなる直前にカトリックの洗礼を受けていたことを、遅ればせながら知りました。奥様が、熱心なカトリック信徒だということです。
http://101newlifenet.cocolog-nifty.com/newlife/2017/10/post-c057.html


そこで、渥美清カトリックに帰依した理由を寅に成り代わって考えてみた。


仏教は人間本来無一物→自己は無い、捨てよというがそれが出来ないのが渡世人のつれえところよ。自己を捨てるためには委ねる相手が必要、それがキリスト。だから俺は最期にカトリックに帰依したのよ、さくら。


仏教は強い人間の信仰。弱いひとはすがる相手が欲しい、それがキリスト←阿弥陀仏観音様でもいいけど。さて果たして最期は如何に。おお世よ、私は汝を去らねばならない