天井桟敷日記

「天井桟敷からの風景」姉妹版

グルダ平均律巻1 ロ短調24番

吉田秀和「バッハ」拾い読み→グルダ平均律を持ち上げていた。


私たちは、バッハを弾いて、これに劣らず「知的な」態度を持しているピアニストとしてカナダのグレン・グールドを知っているわけだが、グールドには、このアイロニーはない。彼はなにごとにも極端であり、狂気すれすれのところで仕事をしていた人だが、グルダは、自分のしていることをはっきり意識し、眺めながら、生き、そうして演奏している。彼は、グールドのように、演奏中も、「目を閉ざさない」。グルダは耽溺型の芸術家ではない。おそらく、詩的な雰囲気をもつ魅惑の深さと幻想性という点ではグールドが勝り、表現の多様とそのすべてを完全に手中に掌握し、支配している、その意識の明晰さと力強さでは、グルダが進んでいるといえるのではないか。
https://kirakuossa.exblog.jp/22866323/


そこで早速、謹聴。

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録音時期:1972年4月(第1巻)、1973年5月(第2巻)


「その意識の明晰さと力強さでは、グルダが進んでいる」か否かを判断する能力は到底無いが面白かったのは巻1最後の曲、24番ロ短調。これが陰々滅々長いのだ。グールド 、シュシャオメイと演奏時間を比べると
グルダ         P 08:24  F 08:12
グールド     P02:15  F03:46
シュ            P04:21  F05:40
となる。名曲解説ライブラリーによるとバッハ自身の指定でL argoとなっているそうなのでグールドはいかにも速すぎる←これまで全く気づかなかったわいな。
シュシャオメイは中庸。ところが、グルダの陰々滅々遅さでは昇天できないもどかしさを感じる、ああ、それがグルダの狙い→アイロニーなのかも。


それはともかく、平均律聴き比べPL、ジムあがりシャワー後に今日からは巻2に着手所存。グルダも加えて三者三様を楽しまむ。ドライなグールドよりも中庸シュシャオメイを好ましく思ったりするが、みんな違ってみんないい。


人生は固有から普遍への旅←森有正。そこで短歌旧作。
エロスより出でてエロスに環り来む意味を求めてめぐりし後に
バッハとりわけ平均律クラヴィーアを聴いてるといつか普遍に到達できそうな。人生に意味は無いけど普遍=仏性なる目的はあるのかも。

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