天井桟敷日記

「天井桟敷からの風景」姉妹版

無の以て用を為せばなり

ジム×ダークサイドミステリー「ケネディ暗殺 陰謀論の正体に迫る」
陰謀論否定→オズワルド単独犯に傾いた番組だったがそれではつまらぬ。
ガストから15%クーポンがまた来たのでしようがないから鰻丼食す。


帰宅して大ガス電話待ちつつシュシャオメイ「永遠のピアノ」。タオイズムについて検索コピペ。


この人の音楽観は深い哲学的な省察に満ちている。そしてそれらはすべて、彼女のピアニストとしての経歴と同様に、苦難が与えてくれたものだ。多くのピアニストがキャリアのためにコンサートからコンサートへと駆け回っている時に、シュ・シャオメイはひたすらピアノと瞑想を続けている。亡命先で、30歳を越えてもまったく無名のまま、コンサートのためでも録音のためでも何のためでもなく、ひたすら無欲に好きな音楽に打ちこめたおかげで、もっとも多くのものを収穫できた、と彼女は言う。それはまさに老子の言う無用の用、「有の以て利を為すは、無の以て用を為せばなり」、無がなければ有の意味がないという真理を実践したようなものだ。 
http://kodayoshiki.sakura.ne.jp/ich_bin_steindumm/201806.html


難解なので更に検索


車輪というものは三十本の輻(や)が真ん中の轂(こしき)に集まって出来ている。その轂に車軸を通す穴があいているからこそ車輪としての用を為すのだ。器を作るときには粘土をこねて作る。その器に何もない空間があってこそ器としての用を為すのだ。戸や窓をくりぬいて家は出来ている。その家の何もない空間こそが家としての用を為しているのだ。だから何かが「有る」という事で利益が得られるのは、「無い」という事が影でその効用を発揮しているからなのだ。
http://blog.mage8.com/roushi-11
無=有の否定があるからこそ有=モノは役に立つ。モノばかりではモノ自体が成り立たぬ、同様に音ばかりでは音楽にならぬ、間の休符=沈黙があるからこその音楽だ。暗黒=無の文革時代があったからこそシュシャオメイは有と無のポリフォニー→バッハの真実に到ることができたのだ。


車載SD カード、FM録音消化が間に合わず不足しそうなので6枚目32GBをエディオンポイントで購入。10月から消費税増税。日本経済復活の日は来るやろか。

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今朝の日記作成BGMはビバ合唱ドイツレクイエム。この録音を車で聴くのは11月以降多分。生きてる限りこのギャップ=無は埋まらない。