天井桟敷日記

「天井桟敷からの風景」姉妹版

BWV668はバッハ絶筆ではない

ライプツィヒコラールの最後の曲BWV668われら悩みの極みにありて。このコラールの題名は元々2つあるようだ。


バッハの「フーガの技法」BWV1080 は最後のフーガが中断したままの未完の作品ですが、バッハの死の翌年に出版された初版には、この未完のフーガの後に続けて「われ苦しみの極みにあるとき Wenn wir in höchsten Nöten sein」または「汝の玉座の前に今やわれは歩み出て Vor deinen Thron tret ich hiermit」という4声のオルガンコラール(ダブルネームになっているのは同じ旋律に異なった2種類の歌詞がついていることによる)が印刷されています。
http://hoch.jugem.jp/?eid=830


この「われ悩みの極みにありて」にはうっすら記憶があって確かバッハ最後の作品に関係してなかったかと日記を探ってみたら


多くの伝記には次のように記されています。「バッハは1750年の春から目の病で病床の人となりました。激痛を伴う2回の手術も失敗に終わり、かえって容態を悪化させてしまいました。目に黒い包帯を当てたバッハは高熱と炎症に苦しみながらついに視力を失ってしまったのです。亡くなる10日前のこと、死が間近に迫ったことをさとったバッハは、弟子を枕辺に呼びコラールの改訂を口述しました」。その原曲となったコラールはバッハが生まれる以前からあった古い詩編歌を4声部合唱に編曲したもので「われら悩みの極みにありて(BWV641)」という歌詞で始まる深刻な曲ですが、これをかれは死の床で深遠なオルガン曲に再編し、しかもその表題を「御身の御座に、今ぞわれ進み出で(BWV668)」に変更したのです。
http://doyoubi.hateblo.jp/entry/2018/09/23/055444


とコピペしていた。しかし、今回、いろいろ検索して


本曲はもともと『17のコラール(BWV651-667)』の掉尾に曲の半ばまで筆写譜が記されており、一説
によると、バッハの娘婿アルトニコルが視力を失って瀕死の状態にあったバッハの枕辺で口述筆記した
ものとされています。筆写者については、『17のコラール』と同じ姓名不明の某人という説もありますが、
バッハ最晩年の作であることに違いないようです。楽譜の完全形は、『フーガの技法』初版に収録され
ているとのこと(東京書籍『バッハ事典』)で、完成された譜が存在する以上、「絶筆」というのは眉唾と
考えてよいのでしょう。
https://blogs.yahoo.co.jp/tiento_antiguo/52314964.html?__ysp=5rGd44Gu5b6h5bqn44Gu5YmN44Gr5oiR5LuK6YCy44G%2F5Ye644Gn


フーガの技法とBWV668とは内容的にも関連があるとのこと。最初に引用した記事に詳しく書かれているが、スマホ小画面では読み辛く、後刻、パソコンで読み直す所存。


ということで今朝の収穫は①BWV668の曲名は「汝の玉座の前に今やわれは歩み出て」とするのが正しい←ヴァルヒャ盤のドイツ語表示に従って。
⓶BWV668はバッハの絶筆ではない←フーガの技法に完全な楽譜が収録されている
フーガの技法とBWV668とは内容的関連がある、リフシッツ盤フーガの技法にもBWV668が収録されている。

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