天井桟敷日記

「天井桟敷からの風景」姉妹版

蛙の歌の喜び

久しぶりに図書館本読書→片山杜秀「クラシックの核心」

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バッハはドイツの東の方の教会や宮廷で、オペラを頼まれるような環境もないところで仕事を続けたせいで、そんな時代から取り残されてしまったのでしょう。前時代の課題に黙々と取り組み続け、ほかの作曲家が興味を失いつつあったフーガやカノンをマンモスのように発展させてしまった。《音楽の捧げ物》が《フーガの技法》ができてしまった。バッハはとても反時代的な巨匠だったのです。だからブルジョワのわがままがまかり通ってみんなで一緒にということが後景に引っ込んだ時代には忘れ去られてしまいました。メンデルスゾーンが引っ張り出して、以後は偉い人になったけれど、ほんとうに大勢がバッハを愛するようになったのは20世紀以後ではないでしょうか。平等や民主や均衡が大切だということになった時代にこそ、バッハは相応しいのです。
http://d.hatena.ne.jp/mmpolo/touch/20170921/1505974739


バッハの音楽は教会でみんな一緒に歌ったり聞いたりする音楽。そしてカノンやフーガには主旋律vs伴奏なる構造はなく、どの声部もみな平等。ところが啓蒙主義フランス革命は個の追求、感情表現、更にはヒロイズム、ロマンチシズムを音楽にしてしまった。
そして革命と戦争の20世紀を経てバッハは甦った。英雄も魂も不要、蛙の歌を教室で輪唱したのを思い出そう。ああ、あれはバッハの喜びだったのだ。