天井桟敷日記

「天井桟敷からの風景」姉妹版

瞑想と平均律クラヴィーア曲集

毎週Eテレ「こころの時代」録画しているが今週は

f:id:doyoubi92724169:20181029064218j:image

タイで出家した日本人僧侶プラユキ・ナラテボーさん(56)。手動瞑(めい)想を通して、「今に気づく大切さ」と、その根底に流れるブッダの教えを読み解く
https://tv.yahoo.co.jp/program/?sid=13739


面白かったのは「過去や未来に捉われたり思い煩うから苦しみや悩みが生まれる」という意味のことを言っていたこと。「明日を思い煩うな」イエスと一緒やんかあ、仏教とキリスト教は通底してるんだあ。
そこでネット検索してこれをもう少し具体的にした記事発見。


「記憶」や「予想」でものごとを見て、そこに意味づけをして、好き嫌いの反応を繰り返しているうちに、だんだんと心がクセづいてきて、「私は、**な人である」とか「私は、**が好きである」とか、「私は**」、「私の**」と、「自我」が生まれる。「自我」は、生きていくのに必要なもの。でも、「自我」だけで生きていくと、「私は**だから、〇〇はできない」とか、「私には、それはムリ!」って感じで、自分の可能性を閉じ込めちゃうことにもなる。
https://blog.goo.ne.jp/kizukinomeisou/e/f553794c7932f3147375920f534c092d
自我は生きていくのに必要だけれど、下心=記憶や予想にまみれている、このまみれを取り除いて真心=客観的に自我観察、苦しみや悩みの縁起を知ろう。サザンも歌っているではないか「恋は下心、愛は真心」と。
閑話休題、このところ平均律クラヴィーア曲集をほぼ毎日4曲ずつ聴いている。お陰様で悩み、苦しみはあんまり無いがいつか真心には到達したい。瞑想やマインドフルネスは苦手だけれど無味感想平均律を「いまここ」に気づく瞑想ツールとして聴き続けよう。ありがとう、バッハ、仏陀、イエスよ。