天井桟敷日記

「天井桟敷からの風景」姉妹版

オペラ「沈黙」松村禎三

遠藤周作「沈黙」読了。そこで「遠藤周作 沈黙 ユダ  去れ なすべきことをなせ」検索してこの小説の核心部分に出会った。


(踏むがいい。お前の足は今、痛いだろう。今日まで私の顔を踏んだ人間たちと同じように痛むだろう。だがその足の痛さだけでもう十分だ。私はお前たちのその痛さと苦しみをわかちあう。そのために私はいるのだから)
「主よ。あなたがいつも沈黙していられるのを恨んでいました」
「私は沈黙していたのではない。一緒に苦しんでいたのに」
「しかし、あなたはユダに去れとおっしゃった。去って、なすことをなせと言われた。ユダはどうなるのですか」
「私はそう言わなかった。今、お前に踏絵を踏むがいいといっているようにユダにもなすがいいと言ったのだ。お前の足が痛むようにユダの心も痛んだのだから」(P.294)と。
https://weltgeist.exblog.jp/amp/21539566/


神は沈黙していのではない。一緒に苦しんでいるのだ。一緒に苦しむ神、それが「沈黙」の神なのだ。


では、オペラ「沈黙」松村禎三では一緒に苦しむ神はどう表現されているか、という興味でオペラCD購入。

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https://www.amazon.co.jp/%E6%9D%BE%E6%9D%91%E7%A6%8E%E4%B8%89-%E3%82%AA%E3%83%9A%E3%83%A9%E3%80%8C%E6%B2%88%E9%BB%99%E3%80%8D-%E6%96%B0%E6%98%9F%E6%97%A5%E6%9C%AC%E4%BA%A4%E9%9F%BF%E6%A5%BD%E5%9B%A3/dp/B00004LMUV
大塚国際美術館ツアーの間に届いていたので昨日開封。第1幕を観賞→CDでオペラはやっぱりなあ、映像を見たい、日本語オペラだけどやっぱり聞き取りにくいと不満を覚えつつ第2幕に期待。


ところで、イエスが逮捕される前夜、血の汗を流した「ゲッセマネ の園に」松村禎三Spotifyで今朝三回聴いた。

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https://www.amazon.co.jp/%E6%9D%BE%E6%9D%91%E7%A6%8E%E4%B8%89-%E4%BA%A4%E9%9F%BF%E6%9B%B2%E7%AC%AC1%E7%95%AA-%E7%AC%AC2%E7%95%AA-%E3%82%B2%E3%83%83%E3%82%BB%E3%83%9E%E3%83%8D%E3%81%AE%E5%A4%9C%E3%81%AB/dp/B004AUUC5O


エスの血の汗の理由も沈黙する神にあったのではないか。それが証拠にイエスは十字架上で「エリ、エリ、レマ、サバクタニ
http://eastwindow18.hatenadiary.com/entry/2014/01/23/233619
と叫んだではないか。


音楽は妄想のネタ。神の存在を疑ったイエスは死してキリストになり三位一体にまで持ち上げられ、遂には最後の審判→裁く神にまで持ち上げられた。

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ネット検索ついでに吉松隆の面白い記事発見したのでコピペしておく。松村禎三にオペラの構想を変えさせたものは何か、また妄想ネタが出来た。


その時代、丸13年をかけて完成したという唯一のオペラ(遠藤周作原作による「沈黙」)も、最初の構想では確か水上勉の「飢餓海峡」のはずだった。私がお宅に出入りしていた頃、青函連絡船の遭難のシーンとか、殺人のシーンとか、主人公が見る地獄のシーンとかの舞台の構想を何度か聞いたことがある。日本的な「業(ごう)」にまみれた戦後のあの時代を象徴する社会派ドラマ(同時に犯罪ドラマでもある)は、松村さんの音楽に良く合うと思った。
 しかし、出来上がったのは、キリシタン禁制の時代の日本を舞台にした「神の不在」を問うオペラだったので、ちょっと驚いた。若い頃はひたすら「非ヨーロッパ的」で「アジア的」なるものを標榜してきた松村さんにとって、晩年における「キリスト教的なもの」への接近は、私にとってかなり「意外な」ものであり、この作品はいまだに理解の範疇にない。
http://app.m-cocolog.jp/t/typecast/190085/166801/20755391