天井桟敷日記

「天井桟敷からの風景」姉妹版

バッハとニュートン

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「バッハからの贈りもの」鈴木雅明×加藤浩子を読書中→バッハの音楽探求原理を理解させてくれる言葉に出会った。そこで、「バッハ ニュートン 美の原理」でググってちょうどこの部分を引用している記事発見、コピペさせて頂く。

 

ひょっとしたらバッハは早くから自分の死というものを考えていたのではないでしょうか。いずれ人間は死ぬのだからというような、自分の人生を振り返ってみて、というような思いがあった。死んでからも残す...という、永遠なるものへの志向がバッハにはあった様な気がするんです。ただ、19世紀の作曲家と根本的に異なるのは、自分の作品や名声をのこすというものではなく、もっと抽象的なものだった。結局バッハにとっては、対位法的なエッセンスとか和声や旋律など、音楽にどうしても必要な要素、音楽における原理、つまり美しいものを求める原理は、自分の存在とは別に存在するとバッハは考えていた。自分はこう書けるということではなく、その美しさのエッセンスというのはこういうものだ、物理的にこういう動きだから美しいんだという、いわば森羅万象を司る原理が重要だった。バッハはあのリンゴのニュートンになぞらえて尊敬された。カノンやフーガなどの彼の作品は、彼の技術や能力が「生み出した」ものではなくて、すでに自然界に存在していた「美の原理」を音楽の形にして顕わにしたのだ、ということです。そしてこの「美の原理」はキリスト教的にいえば、神の摂理の中にある。小さな自分が何か感じたとかではなく、もっと大きな価値観の中での営みであった。バッハの音楽がなぜ今日に至るまでこんなに力を持っているかといえば、やはり、そういう普遍性があるからに違いない。バッハの場合音楽は日常であって、彼自身音楽というものを日常と切り離した次元での、たとえば芸術というような概念では捉えていなかった。

http://www.asahi-net.or.jp/~aw7k-mk/books/bach-okurimono.htm

ロマン派は心情音楽、バッハは原理音楽。神の原理を探求するのがバッハと思い到れり。