原谷苑、花の楽園
昨日、朝のNHKニュースを見ていたら知る人ぞ知る桜の名所として京都、原谷苑が紹介されていた。そんなん知らんかったわあと絶好のジムさぼ口実→京都へ。
原谷苑近くなったら山の中、これは駐車場無いかも→その通り、苑の前にあったけど当然満車、そのまま狭い山道をタクシー達に着いて行って仁和寺に降りる→仁和寺駐車場も満車、結局、金閣寺やや遠くの最大千円に駐められた。
ここから徒歩40分登り坂。ようよう辿り着いて桜かな。
桜だけでなくヨシノツツジ←最初、石楠花かと思った。
雪柳も馬酔木も。
枝垂れ源平桃
御室桜も清楚に
寺社などとの取り合わせ花見ではなく純粋な花見を愉しめた。帰りは無料シャトルバスでわら天神まで直行。来年多分来るときはわら天神近くに駐めて楽して行こう、花の楽園へ。
【昭和 初め】
花の好きな二代目が、鷹峯土天井町(松野醤油店の北側)に梅・桜・紅葉などの樹木を植え農園を創めるが、加賀前田公爵の別荘を建てたいとの要望によりその地をお譲りしたため、何処かに花を植える場所が無いかと探していたところ、原谷開拓団の方からお話があり現在の村岩農園の所在地を得ることとなった。
【原谷開拓団】
終戦後、満州から引き上げてこられた方々が国より山林とは言え京のゴミ捨て場状態の荒地の開墾を命じられ、開拓団として入植されたが、火葬場の裏山でもあり余りの辺境さに一夜にして逃げ出された家族もおられたし、残って開拓に一心不乱に取り組まれた方々も果樹園や農園、牛の放牧や養鶏等にも取り組まれたのですが,中々開拓の成果も上がらず、困り果てた方よりお話が有り原谷乾町の一角を譲り受ける事と相成りました。その際には、阪急電鉄から原谷全地域を譲り受け第二の宝塚化計画のお話も持上がっていたのですが、開拓団の都合により立ち消えになりました。
http://www.haradanien.com/history.html