私は青空
音楽は見上げるものだろうか、それとも見下ろすものだろうか。というのも「私は青空」なる卓抜爽快な比喩に出会ったからだ。山下良道「青空としてのわたし」読書中。
まだ途中までしか読んでないけど、この卓抜爽快な比喩はわたしの本当は青空だと説く。五蘊や煩悩→悩み、苦しみ、不安、憎しみ更には喜びなど人間が抱く煩悩は全て心が作り出した雲。雲の上には青空があるのに我々はそれに気づかず一喜一憂する。青空になったつもりで上から雲を見下ろして御覧→煩悩が雲にすぎないと気づくよという。
「世間で言われる幸せは、せいぜい白い雲にすぎません。
(中略)
しかし仏教では、真っ白な雲を求めているわけではないのです。白い雲でも黒い雲でもない、青空を求めているのです。
瞑想メソッドを使い、呼吸を観たり身体の感覚を観たりすることで、そういう雲をすべて手放し、青空のなかに入っていくことができます。これは理論ではなく、実際のことです。青空に入ったとき、立つ場所が違っています。今までは雲のなかに立っていたのが、その雲が手放されたときには、青空に立っている。青空に立ったときにのみ、すべての雲に対する非常に強い慈悲の力を感じるのです。」(p.183)
「私は雲じゃないから。
たったそれだけです。そこが急所です。私は青空です。」(p.184)
http://4awasejsn.seesaa.net/article/403516683.html
そこで今朝はブル2カラヤン。ブルックナーが描く煩悩を見下ろしてみたら、この退屈長大音楽をそれなりに楽しめた。ああ、悟りにちょっぴり近づけたかも。