天井桟敷日記

「天井桟敷からの風景」姉妹版

シメオン老人→BWV82

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今朝のカンタータBCJ巻41から第82番『私は、満ち足りた』BWV82(ソプラノ稿)。ネット検索してこの曲は

エスが誕生して一月ちょっとしか経っていないこの日、両親は赤ん坊のイエスを連れてお宮参りに行きます。そなこで一家は、シメオン老人に出会うのですが、老人はイエスに出会うや、この子こそ待ち望んでいた救世主と悟り、幼子をその手にかき抱いて、「これで満足した、もう思い残すことなく世を去ることができる」と語りました。
このカンタータ82番は、このルカ福音書の物語に基づいて、苦難の多い「この世」から、キリストの救いによって永遠の安らぎである甘美な「死」の世界に旅立つ心情を歌っています。この曲は、カンタータ56番と並んで、バス独唱用のもっとも重要な作品です。
http://www.ebach.gr.jp/kaisetsu/bwv82.htm

というものだと知ったが、今朝の演奏はソプラノ独唱。美しいが、老いた男の嘆きと救世主にようやく出会えた満ち足りの歌なのだから男の声で聴きたいと、名演奏ディスカウ×リヒターがあると知ってSpotify捜査→見つけたよロマンチックバッハ、こちらの方がいい痺れたのでもう一度BCJソプラノ独唱。都合結局、三回聴いた。

でもよーく考えると、シメオンの名前を知っていたのは何故だろう→カンタータBCJ勉強記録をとっているエバーノートを「シメオン」で検索したら、BCJ巻38でバス独唱版を既に聴いていたと判明。ああ、俺はイエスに何度も出会っているのに気づかないのだ。

でもお陰でBWV82を脳に刻み込むことが出来た。凡人は救世主に出会っても気づかない、だからこそ長生きすると信じておこう。