天井桟敷日記

「天井桟敷からの風景」姉妹版

生活=事実+物語=ダメ虎+音楽

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目覚めて最初にしたことは昨夜のゲーム結果の確認→なんと勝っとるやないか、テレビ中継が無かったのでスマホで時おりチェック→あかんなあ、四連敗やと諦めてテレビYouTubeカラオケ「逢わずに愛して」寝たのに。

それはさておき朝の悦楽→あの世の物語=普遍悦楽音楽、今朝は夙川教会テレマンアンサンブル予習プレイリスト2回目。
H.シュッツ:十字架上の7つの言葉 SWV 478
J.S.バッハ:ミサ曲 ト短調 BWV235
G.F.ヘンデル:主は言われた HWV232

軽→重の順で音楽は聴くべし、ヘンデル→バッハ→シュッツの順で聴いた。ヘンデルもなかなかだけれどバッハが途轍もない名曲に思えてきた。メロディアスなのだ感じるのだ、歌詞が単純なラテン語で聴きやすいのもいい。

そこで五嶋みどりQ予習→ヒナステラ弦四2番←バルトークショスタコを足して2で割ったような曲を
聴きながらBWV235検索。

それでもバッハがラテン語のミサ曲を数曲とは言え作曲しているのは、ルター教会での礼拝ではカトリックのミサ典礼が継承されていたことによる。当時のルタ一派の礼拝式ではカンタータの演奏に先立ってミサ曲が演奏されていたのだ。ただし、その際に演奏されるのはカトリックの礼拝におけるミサ曲と異なり、「キリエ」と「グローリア」だけだった。
「ミサ曲ト短調BWV235」は1739年頃に成立したと思われるが、その中身はほとんどが以前バッハが作ったカンタータからの転用である。転用、改作、パロディーというと、なんとなくやってけ仕事で、「ええい、新しく作るなんて面倒だから、昔作った曲で代用しちゃえ」といった手抜きのような印象を与えかねないが、バッハの時代には一般的に行われていた事であり、決して手抜きとか怠けていたわけではない。
http://blog.livedoor.jp/nadegatapapa-classic/archives/51664021.html

ふーん、そうか。転用によって熟成→名曲になったのかと納得。
これで今朝の聴楽終了→野球頭に戻してゲーム結果検索。

阪神が逆転勝ちで4連敗免れる 決勝点は“敬遠暴投” 日曜日は7連勝
https://www.daily.co.jp/tigers/2017/05/21/0010211051.shtml?pg=2

わっはは、これは途轍もなく愉快。起きたらサンデースポーツその他テレビ見まくろう。
かくして
人生=事実+物語
生活=ダメ虎+音楽
の一日が始まるのだ。