音楽はあの世の物語→普遍の愉悦
五嶋みどりQフェニックスホール予習。
▼ヒナステラ:弦楽四重奏曲 第2番op.26
▼ドヴォルザーク:弦楽四重奏のための「糸杉」B.152より
▼シューベルト:弦楽四重奏曲第14番ニ短調D810「死と乙女」
http://phoenixhall.jp/performance/2017/06/20/6409/
ヒナステラもドボルザークも初体験。糸杉はドボルザークが自らの歌曲を弦楽四重奏に編曲した小曲集12曲。その何曲かをセレクト演奏すると思われるが、特定されていないので全部聴いた。ロマンティックな音楽だ。
こんなロマンティックな曲を聴いてて屁理屈を捏ねたくなった。
人生=事実+物語
人生=この世+あの世
自己=固有+普遍
つまりは、音楽=あの世の物語→普遍の愉悦。以前に書いたブログからコピペして今朝の駄文はオシマイ。
どんな境遇に生まれて成長し社会の中でどのように暮らし生きるかが固有。しかし最後は生まれた時と同様に裸=普遍に死ぬ。つまり、人は固有に生まれ普遍に死ぬということだ。死ぬことで固有の自己は存在しなくなるが、普遍の自己はなお生きると言いたいところだが、人間死んだらタダのゴミ。だから、普遍に死ぬという理屈が納得して死ぬ理由のひとつにはなるとしておこう。
http://doyoubi.hateblo.jp/entry/2017/05/17/055742