天井桟敷日記

「天井桟敷からの風景」姉妹版

ブラームスはお好き?

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今朝もドイツレクイエム、聴いてもた。カンタータBCJ巻28に突入したけど対訳見ながら2曲聴いたら、ドイツレクイエムのドイツ語と格闘したくなってクレンペラー

いやあ凄いわあ、大規模劇的→第2曲と第6曲←でも劇的過ぎてホンマかいなとも思ったりして。そしてまた第7曲終曲「今から後、主にあって死ぬ死人はさいわいである」が嫌味やなあ→主に会わずして死ぬ仏教徒は幸せではないんかいな、少々腹が立つ。

ところでクレンペラー盤の宣伝記事に

今や大半の欧米人にとっても非日常のものと化してしまった《祈り》あるいは《教義》に対する想念を、二度にわたる《改宗》という紆余曲折を経ながらもなお真摯に持続させ得た、いかにもこの巨匠らしい厳しい精神の発露とでも言いたくなる名演奏。
http://www.hmv.co.jp/artist_ブラームス(1833-1897)_000000000034573/item_ドイツ・レクィエム クレンペラーフィルハーモニア管弦楽団_4948595

とあり、へーえオモロイなあ、プロテスタントカトリックの間を行き来したんかいなあと「ブラームス 改宗」で検索したけど詳細わからず。ドボルザークが「ブラームスは大人物にしては信仰深くない、教会に行かない」と嘆いたみたいだ。

そしてまた、検索で面白い記事発見。

それで、どちらの「復活」が琴線に響くかと言うと、自分的にはマーラーなのだ。学生の頃からブラームスの音楽に触れてきて、ブラームスのシンフォニーが好きであったにもかかわらず、マーラーの「復活」に近しさを感じる。

なぜだろう。現時点でひとつ思いつくのは、ブラームスがとても形式を重要視したということ。この「ドイツ・レクイエム」にしても、第4曲を中心に、前半と後半でシンメトリーな構成になるように作られている。音楽的には第6曲がいちばん盛り上がるし、終曲にふさわしくもあると思えるのだが、ブラームスは第1曲と呼応させる形で「幸なるかな」で始まる第7曲を置いて締めくくりとしている。(ちなみに第6曲と呼応する第2曲は、2番めにボリュームのある曲となっている)。
http://violafreak.blog.shinobi.jp/音楽の話/ブラームスの魂の行方

ドイツレクイエムが対称的構造になっているというのは参考になったし、ブラームス形式主義云々も同感。だから、復活に比して感銘薄いのも当然→そこでパーヴォの復活発見、デセイが歌うのも楽しみだ、BGMなう。