天井桟敷日記

「天井桟敷からの風景」姉妹版

信じる者は救われる

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カンタータBCJ巻17に突入。
Disc17
ライプツィヒ時代1724年のカンタータ
第153番『ご覧下さい、愛の神よ』BWV153第154番『わが最愛のイエスは失われぬ』BWV154
第73番『主よ、御心のままに、私を定めて下さい』BWV73
第144番『取れ、己が取り分を。そして去れ』BWV144
第181番『軽佻浮薄の霊どもは』BWV188
野々下由香里(S) ロビン・ブレイズ(C-T) ゲルト・テュルク(T) ペーター・コーイ(Bs)録音:2001年3月

バッハの音楽、特に教会カンタータキリスト教信仰と切り離して聴けない。そこで、神=造物主も三位一体も最後の審判もちゃんちゃら可笑しいと考える無神論者たる俺だが、バッハを聴くその場限りのキリスト者になって巻17を聴いた。

ところが、いつも参考にさせて頂いている方の記事でこんなBWV154解説に出会った。

イエスが見失われ、三日後に見いだされたと書かれているのは、十字架と復活を連想させますが、 ここではイエスを見失った信者の絶望と不安、イエスを再び見いだした喜びがテーマとなっています。 人はその罪によってイエスを見る目を覆い隠されてしまうのですが、イエスは自ら人間にその姿を示し、 人の罪をあがなうことによって、再び人がイエスを見ることを可能にしてくださるのです。
http://www.kantate.info/154.htm

なるほどねえ、憎いねえキリスト教。信じられないのはお前の罪のせい。だから主は神の子=キリストをこの世に遣わされて十字架の贖罪を果たされた。それでもわからんのか無神論者よ、という寸法だ。

キリスト教徒として習慣的に教会に通っている人の中にも、時にキリストを見失うことがあるだろう。それは乗り越えて信仰せよ、まさに信じる者は救われるのである。