天井桟敷日記

「天井桟敷からの風景」姉妹版

映画「ワレサ 連帯の男」ワイダ


ストーリー |【公式サイト】『ワレサ-連帯の男-』

ワイダ監督はワレサに敬意をこめながらも、彼を英雄としては描いていない。
気高く、家族思いであるとともに、ユーモアがあり、弱くて傲慢でもある複雑な性格を持つ人物として描いている。
また彼の英雄的行動の背景には妻ダヌタの存在があったことを、とりわけ大切に描いている。
そこにはワイダ監督夫妻の体験も重ねているようだ。

 力作だった。クライマックスはノーベル平和賞受賞、でもワレサは授賞式に出られなくて(「出国したら帰国できなくなる」)代理で妻が出席。妻の帰国時には全裸の身体検査(尻の穴まで調べられた)。

このノーベル賞受賞の前のヤマが戒厳令ワレサ拘禁。歴史を復習すると

ソ連・東欧社会主義の解体……から転載。

1981年 このようなポーランドの自由化の動きを警戒したソ連の圧力が強まる。ポーランドでは体制強化のため、ヤルゼルスキ国防省が首相を兼任、連帯の運動を抑圧する。抵抗する連帯側にも強硬派が台頭、対立が激化。ついに12月、ヤルゼルスキ首相は戒厳令を敷き、連帯の活動家を逮捕、弾圧に踏み切った。ヤルゼルスキは「救国軍事評議会議長」として権力を集中させる一方、一定の経済自由化を推進し、複数政党による選挙なども認めるなど「上からの民主化」をはかり、ワレサも釈放して懐柔に務めた。

映画ではブレジネフの死がワレサ釈放につながったように描かれていた。


平凡な労働者が共産政権を倒した:ワイダ監督のポーランド映画『ワレサ 連帯の男』を観る|自費出版のリブパブリのブログ

ワレサも、党幹部の使う保養所のような場所で優雅な拘束を受ける。公安からは、転向を働きかけられるが、突っぱね続ける。外では、連帯の活動は、ヨハネ・パウロ2世と世界の知識人たちの精神的支持でなお続けられていた。
 転機は、82年11月10日のブレジネフの死であった。ブレジネフの死で、ヤルゼルスキはソ連に気兼ねをすることもなくなった。翌日、ワレサは釈放される。同年末、連帯の要求どおり戒厳令は撤廃される。このあたり、ヤルゼルスキは現実感覚を持ち合わせた非凡な共産党指導者だったと言える。

 ブレジネフの死とワレサ釈放がこのようにストレートにつながっていたかどうか、バチカンの働きかけもあったようだが、それはともかく一見に値する力作。

 

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