明日の句会準備とパーヴォと唯識勉強
お題は「白、学、草」。「草」がまだ出来てないので「クラシック音楽館」ブラームス@パーヴォ×カンマーフィルを聴きながらひねる。俳句も音楽も意味よりは取り合わせ、エロスより出でてエロスに環り来む意味を求めてめぐりし後に。
それにしてもカンマーフィルのブラ1、新鮮な響だけれどちょっとこねくり回し過ぎの感あり(俺がそんなにブラームス好きではないのかも)。
◯草莽の尊皇攘夷春の風邪
◯桜咲く学校跡地特養に
◯良き人の白き言葉やヒヤシンス
◯子を持たず孫も生まれず雛祭
◯よく喋る隣の男猫の恋
◯遠足のシニアカップル森に入る
欲しきもの運鈍根や福寿草
◯欲の世を生きて建国記念の日
◯春浅き富士を横目のウォーキング
スポーツ紙片手の散歩きさらぎ来
日向ぼこ一人遊びの上手な子
春霞西田に学ぶ死生観
ヤルヴィ指揮ドイツカンマー・フィルでブラームス「ピアノ協奏曲第1番」「交響曲第1番」を聴く - 人生の目的は音楽だ!toraのブログへようこそ
ヤルヴィの指揮の特徴は、かなりテンポを揺らすことと、メリハリをはっきりとつけて演奏することです プログラムに寄せた音楽評論家の舩木篤也氏の解説によると、ヤルヴィは「ブラームスの音楽はとても論理的で、完璧に整えられているわけですが、論理だけでは交響曲は作れませんし、演奏もよくはならない。演奏者はそこに一つのストーリーを見つけ、それを語る方法を見いださねばなりません」と語ったとのことです
「唯識」という生き方―自分を変える仏教の心理学 [単行本]横山 紘一の読書開始。
因縁の唯識的理解(因は原因の因、縁は触媒)
唯識論 - 風に吹かれすぎてから転載。
「空」というのは何もない=虚無という意味ではなく、何かの因(原因)があり、それが触媒的な事物と触れること(縁)により、結果(果)が導かれるような、そしてその結果(果)が新たな因となって、縁に触れて、更なる果が生まれると言うような、その果てしのない因果、因縁の循環が繰り返されるような場を、固定的なものは何もないという意味で「空」と言うのだと思います。
このような「空」理解もあるんだなあ。
編計所執着性の一例。横山紘一「唯識という生き方」、心は富士山よりも大きいか。 pic.twitter.com/ejqKNLrjT8
— 土曜日 (@doyoubi) 2015, 2月 17
同書、三人の自分。見分、相分、自証分。 pic.twitter.com/H20xuPIDxI
— 土曜日 (@doyoubi) 2015, 2月 17
プール→ケーズ電気視察/ノートPCの一番安いのが税込み38k円。そこで、帰宅してカカクコムなどを見て機種選定半ば衝動買い。
レノボノートがマルウェアに汚染されたり突然落ちたりするので早めに買い換え決断。光学ドライブ付き33K円の安さが決め手。 ノートパソコンLenovo G50 80G000VVJP [楽天] http://t.co/pXDU4N1HiB pic.twitter.com/sLCYidUn0v
— 土曜日 (@doyoubi) 2015, 2月 18
映画「テス」を観始める/長尺3時間弱!
30年ぶりの映画『テス』、究極の薄幸系女子! : 鍵盤うさぎのピアノ練習ブログ(旧)
原作はヴィクトリア朝時代の作家、トーマス・ハーディの『ダーバヴィル家のテス』。ポーランド出身のロマン・ポランスキー監督によるフランス・イギリス合作映画で1979年に公開。当時、30億円という巨額の製作費が話題になっていました。アカデミー賞の撮影賞、美術監督・装置賞、衣装デザイン賞を受賞しています。