天井桟敷日記

「天井桟敷からの風景」姉妹版

新印象派展とショスタコ5番パーヴォN響

もうちょぃしたら家出/上野から渋谷へ。


新印象派 光と色のドラマ|東京都美術館 2015年1月24日(土)-3月29日(日)

点描の画家たちは、パレットの上で色を混ぜると濁るといって、カンヴァスに絵の具そのままの色をひたすら小さな点として置いていきました。つまり画家が直接絵の具を混ぜるのではなくて、絵を見る人の頭の中で混ぜさせるようにしたわけです。水に、濁り水と、真水とがあるように、もしかすると、真の色というのは脳の中にある、と彼らは思っていたのかもしれません。

 脳の中でどんな風に色は作られるか。

 そして渋谷は庄司紗矢香×パーヴォN響

 

シベリウス/ヴァイオリン協奏曲 ニ短調 作品47

ショスタコーヴィチ交響曲 第5番 ニ短調 作品47

 ほっほ、どちらも作品47だ。先日のA定期(エルガーVcコン、巨人)は行けなかったけどFMライブ聴いて、パーヴォの作り出す響きがとても新鮮だった。

とってもご機嫌な午後と夜になるだろう

印象派展終了、ポピュラーな作品はないけど面白かった。渋谷に向かう。

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電車の中で「ピサロ」ウィキにこんな記述発見。

ピサロは1885年頃から90年まで、ジョルジュ・スーラポール・シニャックの影響で点描画法を試みている。晩年はパリ郊外のエラニーに住み、描くのに時間がかかり感情に追いつけないとして点描法を放棄し、風景だけでなくピョートル・クロポトキンらのアナキズムの影響を受け、農村を舞台にした人物画を多く描くようになった。

そうだよなあ、点描は根気が必要。「感情に追いつけない」とは言い得て妙。

 

渋谷歌合戦ホールに開場時刻18時少し前に着いたら既にいつもの3倍ぐらいの列、前回のA定期では開演時に「ブラボー」が叫ばれた(FMライブ解説西村朗談)のも納得のパーヴォ(×庄司紗矢香)人気。周到事前入手済み人民席1500円チケットで入場、定番右翼最前列はとれず中央寄り通路前席開演を待つ。

ショスタコ5番、パーヴォは新鮮な響きを聴かせてくれる。特に終楽章コーダ少し前のエスクラリネットの甲高い鋭い揶揄するような音は今まで聴いたことがない。「この曲は冗談だ俺は本気でこんな社会主義リアリズム音楽を書いたのではない」とのショスタコの悲痛な叫びではなかろうか。

的確な演奏会評記事発見。俺の表現「明快かつノリよく抑制よし」よりももっと詳細整理している。


【演奏会 感想】パーヴォ・ヤルヴィ指揮NHK響 第1803回定期演奏会 庄司紗矢香(Vn) (2015.02.13 NHKホール) | Langsamer Satz

今、演奏会の記憶をたどり、彼のベートーヴェン交響曲のCDを聴きながらこの文章を書いているのですが、この指揮者の特質を私なりの言葉で表現するならば、乾いた感性をもった人ということに尽きると思います。乾いたと言っても、カサカサで潤いがないというのではありません。ウェットさを排除したという言い方の方が正しいでしょうか。情に溺れて感情を露わにすることもない。そして、ドイツ・カンマーフィルとのベートーヴェンでもそうですが、この人は、前述のように楽器間の強弱のバランスに細心の注意を払い、音のヒエラルキーを他のどの指揮者よりも明確に示してくれていて、編成の大きさによらず信じられないほどに高解像度の音を聴かせてくれるのですが、それぞれの音は決して溶け合わない。指揮者側からブレンドしようともしていない。例えば、クラリネットオーボエが和音を吹いている時も、必ず一人一人の奏者の音が分離して聴こえてくる。