天井桟敷日記

「天井桟敷からの風景」姉妹版

行為の伴わない期待と愚鈍な傍観

NHKBSプレミアム)が高倉健特集を放送してくれている。 

緋牡丹博徒 花札勝負 [DVD]

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 おーっ、こんな任侠映画をNHKが放送していいんだろうかと思いつつも録画。まずは第一弾、「網走番外地」鑑賞なう。 

網走番外地 [DVD]

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 その制作経過が面白い。ウィキから転載。

1962年か1963年ころ、当時東映の専属だった三國連太郎網走刑務所から囚人が脱獄を企てた計画があったことを知り、この囚人脱走計画の事件をモデルに、自ら『網走監獄の脱走』という企画を岡田茂東映東京撮影所長(当時)に提出したのが本作の始まり[1]。三國は当時、岡田が深作欣二石井輝男らを使って当てていた“ギャング物”“現代アクション路線”の延長上にある“娯楽アクション映画”であることを強調し、自身はまだ独立プロを興して間がないため、自ら監督はやらず、『天草四郎時貞』(1962年)で組んだ大島渚を推薦した。岡田も賛成し、「大島監督に一発ホームランを打たせてやれるようなものにしたい」と企画は了承された。企画窓口は俊藤浩滋、脚本は大島と石堂淑朗、主演は三國と俊藤がマネージメントしていたアイ・ジョージで進められていたが、東映上層部は『天草四郎時貞』を興行的に惨敗させた大島への不信感が強く、この企画を監督させなかったといわれる。その後、三國主演・佐藤純彌監督で『脱獄』と仮題がつけられた企画が浮上したが、岡田が東映の“ギャング物”の延長の企画に、暗い三國の主演はふさわしくないと中止させたといわれる。岡田は『天草四郎時貞』の興業的失敗は三國にも責任があると考えていたようで、後に『仁義なき戦い』の山守義雄役を"鶴の一声"で三國から金子信雄に代えさせた逸話は有名である[2]

 この映画の健さんはまだその寡黙演技スタイルを確立しておらず喋りすぎている嫌いがある。雄弁は銀、沈黙は金なり。

 

知人のメールでボンヘッファーを知る(前にもその名を聞いたことがあるような)。ウィキから転載。

1944年7月20日、黒いオーケストラによるヒトラー暗殺計画は失敗に終わった(7月20日事件)。多くの関係者が処刑、または逮捕され、ボンヘッファーの兄クラウス、義兄リューディガー・シュライヒャーも逮捕された。

1945年4月に黒いオーケストラの一員であったヴィルヘルム・カナリス提督の日記からボンヘッファーの関与が発覚。わずか数日後の4月8日、ボンヘッファーはフロッセンビュルク強制収容所へ移送されて死刑判決を受け、翌日絞首刑に処された。同日には、義兄ハンス・フォン・ドホナーニ、カナリスらも処刑された。兄クラウス、義兄リューディガーも4月23日にベルリンで銃殺された。ヒトラー総統地下壕自殺し、ナチス体制が崩壊したのはボンヘッファーの刑死した3週間後のことだった。

 その思想の一端をメモ16 ボンヘッファー「10年後」(1942) - 片山貴夫のブログから転載。

われわれはキリストではない。しかしわれわれがキリスト者であろうとするならば、それは責任ある行為においてキリストの心の豊かさにあずからねばならないということを意味する。その責任ある行為とは、自由に時間を利用して、危険に立ち向かい、不安からではなく、自由を与え・罪を贖うキリストの愛から、すべて苦しむ者に向かって湧き出る真正の同情を負うものである。行為の伴わない期待と愚鈍な傍観とは、決してキリスト教的態度ではない。行為と共に苦しむことへとキリスト者を促すのは、先ず自分自身が出会う体験ではなく、そのためにキリストが苦難を受けられた兄弟たちの身にふりかかっている体験である。

 「行為の伴わない期待と愚鈍な傍観」にちくっと胸を刺される我は市井の俗人なり。