天井桟敷日記

「天井桟敷からの風景」姉妹版

我癡、我慢、我愛、我見

毎週予約している100名著、今回はフランケンシュタイン。意外に面白かった。


名著41「フランケンシュタイン」:100分 de 名著

この作品は、本来人間を幸福にするために生み出された科学が逆に手痛いしっぺがえしをもたらすという皮肉を描いているだけではありません。怪物の視点に立つと、人はなぜこの世に生を受け、何のために生きるのかを問うアイデンティティ探求の物語として読むことができます。また、元々善良な存在がなぜ邪悪な存在に変貌するのかを描いた物語ととらえると、現代社会に犯罪や悪が生み出される理由を考えるヒントにもなります。

 そう、単なる怪奇談ではないのだ。作者シェリー夫人はこの時、19歳。どんな女性でどういう生涯を辿ったのか、番組は多分それも教えてくれるだろう。

録画在庫を消化し終えたので読書/入門 哲学としての仏教 (講談社現代新書)竹村牧男。煩悩の4要素「我癡、我慢、我愛、我見」をしっかり記憶しよう。第5章 心の仕組み 四と八の話なる記事から引用させて頂く。

すなわち、心の奥に四つの根本的・基本的な慣悩がいつもあるというのです。

 (1)煩悩の第一は、「我癡」です。これは真諦訳では「無明」と訳されています。つまり、私、他人、物は分かれて存在しているのではなく、本来一つであり「空」だということ、「無我」ということ、その「無我」についての根本的な全くの無知、全くの無理解、それが頭の先・意識だけではなく、心の奥深くにあるというのです。

 (2)ただ単に「無我」について知らない、わかっていないだけではなく、私というものがいるとしつかり思っていて、私はこういうものだと思っている。「私」という見方がはっきりある。それを「我見」といいます。

(3)そういう「私」というものは価値あるものだ、意味あるものだ、生きる権利があるのだというふうに、自分をよりどころにする、頼りにする、誇る。それを「我慢」といいます。これは「我慢する」という日常語の語源ですが、ちょうど意味が逆になっています。我慢するのはふつうはいいことなのですが、唯識でいう「我慢」は、本当はありもしない実体的な自分というものをよりどころ・究極の根拠にしてしまう心のことです。

(4)無知であるだけではなくて、「自我」というものがあると思いこみ、さらにそれをよりどころにし、誇り、さらに愛着・執着する。それを「我愛」と呼んでいます。人間は、心の奥深く、どうしようもないほどの「我が身可愛さ」を秘めているというのです。「深層エゴイズム」といってもいいかもしれません。

 唯識を下敷きにしつつ、仏教を哲学として理解させてくれる好著だ。 

入門 哲学としての仏教 (講談社現代新書)

入門 哲学としての仏教 (講談社現代新書)

 

 

 

唯識と卑弥呼と鉄 - 天井桟敷日記