読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

天井桟敷日記

「天井桟敷からの風景」姉妹版

迷いと悟りは見る方向の違い、Radikoolで一苦労

起きたら早速、Radikool録音成否チェック→名曲スケッチ(10分間番組だが)成功。スクリプトエラー表示も残っていなかった。しかしまあ、そろそろ買い換え時かも(Chromeマルウェアを駆除できず、ポップアップ広告・リダイレクトが不快)。

そこで、このパソコンを買った時を思い出すと

ノートPC四代目襲名: 天井桟敷からの風景

2012年9月26日 (水)

そして今回レノボ。発熱お釈迦不安なノートとは縁を切ってデスクトップも考えたが俺のライフスタイル(居間テレビを見つつパソ)ではやっぱりノート。発熱対策エレコム超冷却ファン下敷き導入、外付けHDD購入(成仏しても名曲探偵録画データは次のノートPCにそのまま移行)発送は10月初旬だって。すべて合わせても36+8+8=52Kと口惜しきMSIより投資額少なしと自慰しておく。

 Windows10が今年中に出るかもしれないので視野には入れておこう。

ASCII.jp:使いやすくなった! 「Windows 10」プレビュー版特集|使いやすくなった! 「Windows 10」プレビュー版特集

岡野守也唯識のすすめ―仏教の深層心理学入門」読書開始。

序章 唯識は二十一世紀の常識か?
第1章 唯識の来た道
第2章 唯識の全体像
第3章…
岡野守也「唯識のすすめ―仏教の深層心理学入門」 序章 唯識は二十一世紀の常識か? 第1章 唯識の来た道 第2章 唯識の全体像 第3章…

「ばらばらからつながりを見る」のが迷い、「一つからつながりを見て、そこから、つながっているそれぞれを見る」のが悟り

ですから私たちは、「悟りとはいわくいいがたいものだ」と考えがちですが、唯識ではいちおう理論でいえるわけです。まずふつうの人間のばらばらの「分別知」があります。その「分別知」が、実はこういうわけで迷いだということを理論的にそれなりに納得してくると、「無分別智」の体験をしなければいけないという気持ちが起こつてきます。無分別の体験をすると、深い意味では「一つ」、「一つ」とさえいえないから「空」ということを実感する。しかしその後でふつうの意識に戻ると、それはただ何もないことでもなければ、何の区別もないことでもない。しつかりとそれぞれの区別はあって、本当こ深くつながり合っているということを知る「般若後得智」に達する。

上の引用の元記事は第4章 迷いと悟り 三の話

テロリストと私たち一般人は異人種と見て切って捨てるのが迷い。いや、同じ人間なのにどうしてこんな違いが生ずるのかと考えるのが悟り。

第5章 心の仕組み 四と八の話から波と水の喩え。

「一つということは、水に譬えていうと、一つの水です。ところが、そこに波が起こる。波を見ると一つ一つは別の波です。一つ一つの波は別なのですけれども、その波は全部同じ一つの水ですね。人間というものは、個々人というものがいるように見えているのは、その波のようなもので、いちおう別々に見えますし、いちおう別々ではあるのですけれども、深いところでは一つなのです。ですから、もし私たちが人とケンカをして、許せないという気分になったときには、許せないのは許せないままでいいですから、でも本当のところは、あなたも私も宇宙の子なのだな、ということを思いかえせるといいですね」というふうな話をしたことがありました。ごく最近になって、この話を聞いた方に久しぶりに会う機会があったのですが、「岡野さんの、あの波と水の譬えは今でも覚えています。仕事で同僚や上司や部下とトラブルがあるたびに、ああ、あの人と私は同じ水なんだなと思うと、気持ちが静まるんです」といわれ、「ああ、これが薫習ということだな」と大変感銘深く、うれしく思いました。

 人間のほんとうは波動。ところが、波の頂点だけを見てそれが人間だと思ってしまう。物質(素粒子)がそもそも波動でもあるのに基体(素粒子)と見てしまうようなもの。

 

唯識のすすめ―仏教の深層心理学入門 (NHKライブラリー)

唯識のすすめ―仏教の深層心理学入門 (NHKライブラリー)

 

 今日のRadikoolのご機嫌

午前のクラシックカフェ再放送(ニールセン)は録音成功、ところが午後の本放送は失敗(mplater起動不可)。

インストーラ版インストールし直してぐっちゃらやってなんとか録音出来るようになった(ZIP版は起動不可)。なお、NHK-FM東京は無音(らじるらじるトラブルと同じ現象)なので大阪を主たる放送局に設定←後刻、東京も聴こえるようになった、何だったんだろう? また、スクリプトエラーは何らかのエラー発生時の付随現象かも。

とにもかくにもこれでなんとか安定して欲しいが…。m(__)m