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天井桟敷日記

「天井桟敷からの風景」姉妹版

岡倉天心「茶の本」と神秘主義


名著40 「茶の本」:100分 de 名著第3回「琴には琴の歌を歌わせよ」から引用。

西欧近代の美学では、しばしば芸術家、鑑賞者双方が我をむき出しにし、自己主張し合う。しかし、それでは、芸術の本質は理解できない。自己を空しくし芸術に身をゆだねることによって、自己を超越した「自他一体の境地」に至ることこそ「茶」が教える芸術の奥義だという。

言うならば自己→世界というベクトルが西欧近代(コギト)。これに対して東洋は自他一体すなわち自己=世界、そのためには無我が必須。つまりは世界→自己(ちょっと強引な我が屁理屈かも)。

そこで思い出したのが、最近読み始めた井筒俊彦「イスラーム哲学の原像」

 
では神秘主義の本質的特徴とはなにか。それは次の三点である。
第1に、現実を多層構造としてとらえる点。
一般にわれわれは現実を単一の実体としてとらえているので、
この現実以外に現実があるとは考えない。
だが、神秘主義は現実というものを複数のリアリティの層が
重なってできている多様体として認識する。
第2に、現実と同様にそれを知覚する意識の側も多層構造をなしていると考える点。
われわれの意識も表層から深層までいくつもの層をなしていて、
それぞれ表層意識には表層の現実が、深層意識には深層の現実がそれぞれ対応しているとする。
通常われわれの意識は表層的で、われわれは現実の表層を生きているにすぎないとされる。
さらに主客の対立構造は表層意識に特有の事態であって、
意識が深まるにしたがって主客の距離が縮まり、最深層ではついに主客未分の状態にいたる。

ああ、これも世界→自己だなあ。コギトから始める認識論ではなく無から始める自己認識が神秘主義ということかと思い至った次第。

  

イスラーム哲学の原像 (岩波新書)

イスラーム哲学の原像 (岩波新書)

 

 

75夜『茶の本』岡倉天心|松岡正剛の千夜千冊

01. 西洋人は、日本が平和のおだやかな技芸に耽っていたとき、日本を野蛮国とみなしていたものである。だが、日本が満州の戦場で大殺戮を犯しはじめて以来文明国とよんでいる
02. いつになったら西洋は東洋を理解するのか。西洋の特徴はいかに理性的に「自慢」するかであり、日本の特徴は「内省」によるものである。
03. 茶は衛生学であって経済学である。茶はもともと「生の術」であって、「変装した道教」である。
04. われわれは生活の中の美を破壊することですべてを破壊する。誰か大魔術師が社会の幹から堂々とした琴をつくる必要がある。
05. 花は星の涙滴である。つまり花は得心であって、世界観なのである。
06. 宗教においては未来はわれわれのうしろにあり、芸術においては現在が永遠になる。
07. 出会った瞬間にすべてが決まる。そして自己が超越される。それ以外はない。
08. 数寄屋は好き家である。そこにはパセイジ(パッサージュ=通過)だけがある。
09. 茶の湯は即興劇である。そこには無始と無終ばかりが流れている。
10. われわれは「不完全」に対する真摯な瞑想をつづけているものたちなのである。
 

 大胆にもたった十箇条のモナドロジーに集約してみたが、ここに天心の『茶の本』の精髄はすべて汲みとられていると思う。こういう要約はぼくには自信がある。ただしここにあげたのは天心の言葉(翻訳)そのままだ。だから十ヵ所の文章を切り取ったといったほうがいい。読みとりはいくらも深くなろう。