天井桟敷日記

「天井桟敷からの風景」姉妹版

キリスト教は人生に於ける失敗者の宗教

こころの時代「道をひらく 内村鑑三のことば(4)真理と寛容」


こころの時代~宗教・人生~/宗教の時間 - NHK

いい言葉を聴いた。この番組の全文文字起こし記事から。

真の寛大とは、私が思うに、自分自身の信仰にゆるぎない確信を持ちつつも、あらゆる誠実な信仰に対しては、それを許容し認めることであります。自分が、ある真理を知りうることを信じ、あらゆる真理を知りうることを信じないのが、真のキリスト教的寛大の基礎であります。それが、全人類と、友好と平和的関係を持つことの源泉であります。
内村鑑三『余はいかにしてキリスト信徒となりしか』)
 
真理について、内村は、ドイツの啓蒙思想家レッシングの言葉をしばしば引用しました。のちの聖書講義の中でも、次の言葉を紹介しています。
 
もしもカミが、右手にすべての真理を、左手には、絶える事なき迷いがあるにせよ、真理を得んとする活発な意欲のみを握って、「撰(えら)べ」と私に言ったとする。そうしたら、私は謙虚にその左手にすがって言うでありましょう。「父よ、こちらをお与えください。絶対的真理はあなたのみのものですから」
(レッシング『神学論集』)

イスラーム過激派・原理主義者たちに聞かせてやりたい。そもそも、真理は円ではなく楕円なのだから。

真理は円形に非(あら)ず楕円形である。一個の中心の周囲に画(えが)かるべき者に非ずして二個の中心の周囲に画かるべき者である。恰(あた)かも地球其他(そのた)の遊星の軌道の如く、一個の太陽の周囲に運転するに係(かか)はらず、中心は二個ありて、其(その)形は円形に非ずして楕円形である。有名なアインスタインの説に依れば、宇宙其物が円体に非ずして楕円体であると云ふ。人は何事に由らず円満と称して円形を要求するが、天然は人の要求に応ぜずして楕円形を採(と)るは不思議である。
(「楕円形の話」)
 
完全なる信仰は円形ではない、楕円形である、自と他との二点を中心として画(えが)かれたるものである、自己を中心と為(な)さなければならない、然(しか)し自己のみでは足りない、他をも亦(また)中心と為さなければならない、キリストに由(より)て救はれし自己が同情的に世界的に拡大して我は始めてキリストの救拯(すくい)を実得することが出来るのである。
(「人類の救拯」)

 イスラームキリスト教(三位一体教義)に対する批判「イエスは神ではない、預言者たる人間だ」は正しい。しかし、神の奴隷としての絶対他力・帰依主義へは行き過ぎだなあ。イスラーム教義そのものにテロの根っこがあると判断せざるを得ないなあ。信仰は自力と他力の楕円形であるべしと改めて思えり。

  何事もほどほどが良し日向ぼこ

 最後に、イエスの受難の意味について。番組ではこんなことも言っていた。

鈴木: 私の想像しますのに、内村のこういう言葉もありますから、「それは人生に於ける失敗者の宗教である」と、こういう言い方をしております。内村の人生に於ける失敗はたくさんありすぎるほどありますけれども、特に彼が苦しんだ失敗は何かと言いますと、自分の力で正しいものになろうと、その努力ですね。その努力には失敗した。失敗したけれど、失敗者のために与えられたのは、キリストが十字架に架かって死んだ意味ですね。本人が―内村なら内村が努力して救われる問題ではないと。それはもうキリストが十字架に架かって死んだことによって、けりはついたんだと。そこにキリストが十字架に架かって死ぬ意味があったんだと。それを認めれば、それでいいんだ。つまり道徳的な自己努力に負けた、失敗した者の宗教である。と、そこで十字架教というのを結び付けていると思いますね。

自力で失敗してもくよくよするな。イエスは身をもって(自ら死を選ぶことによって)それを示してくれた。キリスト教人生に於ける失敗者の宗教なんだよ。


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