音楽は音楽、カラスの勝手
アクセルロッド京響レニングラード に向けて拡張予習→玉木宏音楽ミステリー。
【クラシック】前回近衛秀麿を取り上げたNHK BSの”玉木宏の音楽サスペンス紀行”、今夜放送の第2弾はショスタコーヴィッチの交響曲7番。第二次大戦中、ドイツ軍包囲下のレニングラードで作曲されれた曲で楽譜がアメリカに空輸されトスカニーニによって全世界に放送された歴史的録音がこちら。(T) pic.twitter.com/e1GzAB3slq
— タワーレコード梅田大阪マルビル店 (@TOWER_Marubiru) 2019年1月2日
この番組録画永久保存してるのだが、トスカニーニのアメリカ初演がチラと流れたら全曲聴きたくなってSpotify探索→あったあった。
・ショスタコーヴィチ:交響曲第7番ハ長調op.60『レニングラード』
録音時期:1942年7月19日
録音場所:ニューヨーク、8Hスタジオ
録音方式:モノラル(放送用ライヴ)
変なノイズが多数入っていたりして聴き易くはないのだが、トスカニーニにしては珍しくテンポを揺らしたりして熱気を感じる。当時、反ナチス戦意高揚音楽として放送された録音だ。
しかし番組でも伝えられていたが二枚舌ショスタコーヴィッチ 、単純に戦意高揚交響曲と受け止めてはならない。
作品完成直後の1941年12月27日に、疎開先クイビシェフでショスタコーヴィチ家のパーティーに招かれた隣人フローラ・リトヴィノワは、作曲者の次のような発言を回想している。
「ドミトリー・ドミトリエヴィチは言った。『ファシズム、それはもちろんあるが、ファシズムとは単に国家社会主義(ナチズム)を指しているのではない。この音楽が語っているのは恐怖、屈従、精神的束縛である』。その後、ドミトリー・ドミトリエヴィチは、第7番ではファシズムだけでなくソビエトの全体主義も描いたと語った。」
更には、
たとえば、有名な第5番。以前から第1楽章のフルートの旋律が「カルメン」に似ていると指摘されてきたが、その謎を解く鍵は1934~35年に愛人関係を結んだエレーナ・コンスタンチノフスカヤという女性の存在だというのが、一柳さんの説だ。
などの説があるショスタコーヴィッチ の事だから単純な二枚舌ではないだろう。反ナチス、包囲下の悲惨なレニングラード市民への思い、戦意高揚作曲を強制するスターリン体制への反発に加えて個人的体験の音楽化だと思う。だから、このレニングラード交響曲を純粋に音楽として聴けばいい。トスカニーニの録音フィナーレも戦意高揚バンザイとは聞こえなかった。音楽は純粋に音楽→カラスの勝手である。
車より欲しいカーナビ春隣
車にカーナビを付けるようになったのはトヨタからホンダFITに乗り換えた2016年秋。それ以前はUSBメモリーにFM録音を入れて運転BGM→カーナビ以降はSDカードBGM。
そして昨秋軽N-WGNにダウンサイジング決断→部品不具合のため納車大幅遅延→ずうっと代車暮らし先週末でなんと五代目。
代車に乗り始めて気づいたのは早送り操作が非常に面倒なこと→早送りボタンをずっと長押ししてないと早送り出来ないのだ!
FITではAV画面シークバーを横スクロールするだけで早送り一発なのに。
そうか、全てのカーナビに早送りシークバー が
ある訳ではないんだこれは大変と乗り換え予定N-WGNカーナビをシークバー 付きに要求変更。これで例えばクラシックカフェで耳タコ交響曲が流れ始めたら一発早送りして次の曲を愉しめる。
そんな思いで一日千秋、納車を待っているがなかなか生産再開せず越年、いまだに納車日未定→来月上旬にはとディーラーは言うが。
そこへ先週末の五代目レンタカー代車カーナビ。なんと聴けるのはラジオとCDのみになってもた←FM録音を楽しめへんやんかどないしてくれるねんとディーラーにねじ込んだがレンタカーナビはこんな仕様なので我慢してくれ。
あーあーと溜め息を吐きながらCDを掻き集めて車に積んだ。
お陰で貰い物のフルトヴェングラーやベームを初めて聴いた。今はリヒテル平均律。
辛抱ぞあと半月を春隣
転んでもタダでは起きぬ春隣、まだまだ未聴CD多数、次はクナッパーツブッシュを聴こう。
おこしやす京響ニューイヤー
昨日は今年のライブ初め京響ニューイヤーコンサート
クレメンス・シュルト(指揮)
岡田 奏(ピアノ)
曲目等
シューマン:歌劇「ゲノヴェーヴァ」op.81から序曲
シューマン:ピアノ協奏曲イ短調 op.54
シューマン:交響曲第3番変ホ長調「ライン」op.97
派手好み俗物は渋いシューマン は些か苦手なれども京コンP席がすっかりお気に入りなのでライブ初め京都遠征。ところが申し訳ないピアコンはステージ奥席からは視覚的にも聴きづらく下を向いたりしてひょっとしたら寝落ち。
これではならじと休憩後ラインでは終楽章まで出番のない目の前のトロンボーン隊三人に感情移入謹聴。そうか終楽章はトロンボーンの荘重なコラール風で始まるのかと発見納得。これぞドイツロマン派と感得したラインであった。
※先程、プログラム解説を読んでこの交響曲は5楽章と知った。終楽章は第四楽章と読み換えてください。
そして終演後
今日、京響?(京都市交響楽団ブログ) | 京都市交響楽団
— 土曜日 (@doyoubi) 2020年1月12日
「ライン」交響曲の熱演の後は、
シュルトさんのお上手な日本語による
「新年、明けまして!」に続いて、
京響メンバー全員が声をそろえて元気よく
「おめでとうございます!」と
新年のごあいさつをさせていただき、 https://t.co/wbmKJEhkrB
で気分が和み、アンコールのピチカートポルカ新春を楽しめた。ちなみに上の京響ブログで女性楽員艶姿さらには和服を思い出せる。
ラインの終楽章トロンボーン、ピチカートポルカの鉄琴が思い出になったなあ。指揮者を正面から拝観できて楽員を間近に見られるP席1800円は止められぬ。そこで一句。
さて来週も京都遠征。
ジョン・アクセルロッド(指揮)
アンドレアス・ブラウ(フルート)
曲目等
ベートーヴェン:「アテネの廃墟」op.113から序曲
バーンスタイン:「ハリル」独奏フルートと弦楽オーケストラ、打楽器のためのノクターン
ショスタコーヴィチ:交響曲第7番ハ長調「レニングラード」op.60
レニングラード は派手好み俗物にもってこいの音楽、ハリル初体験予習開始。
再放送も復活も無い名曲探偵
今朝も好きやねん マーラー 「復活」
ラトル24年ぶりの再録音となる『復活』の登場。共演はベルリン・フィルとベルリン放送合唱団、そしてマグダレーナ・コジェナーにケイト・ロイヤルという面々です。
何故ラトルかというと
クルレンツィス第九、ラトル復活、佐渡カディッシュの3公演セット券S席4万5千円!
を買ったからだ。そこで今年10月ライブを想像しながら謹聴。音質良好録音を聴き終えてある種一抹の空疎感あり。昨日、あの熱いワルターNYフィルを聴いたもんな。
そこでワルター終楽章謹聴→やっぱり熱い、渾身の生々しさを感じる。渾身のワルターvs一抹空疎なラトルのレッテルを貼ってしまうのも申し訳ないのでラトルの最後のトラックだけを再聴→やはり冷たさを感じる。しゃあないな所詮は録音、しかも寝床タブレットSpotifyイヤホンだもんね。
好きやねん「復活」は昨夜N響ライブFM録音。
今年最初のN響定期(FM生放送 1/11[土])の指揮は、2017年にブラームスや《第9》で名演を披露したドイツの巨匠、エッシェンバッハ。
— NHK交響楽団 NHK Symphony Orchestra, Tokyo (@NHKSO_Tokyo) 2020年1月6日
今回はマーラー《復活》を取り上げます!
この聴きどころがNHK「ラジオブログ」に掲載されました(執筆:青澤隆明)。
ぜひご覧ください。https://t.co/U7xVD8LNg1
今日、京響ライブ開演待ち時間に聴くな、多分。復活て暇潰ししてシューマンライブ。
ところで復活といえば名曲探偵アマデウス。
毎回訪れる依頼人の悩みを解決する。解決の鍵はクラシック音楽の名曲に隠されており、曲の構成や背景などを紐解いてゆくことで番組が進行する。ドラマの途中に演奏家や音楽学者の解説が入る。番組の終盤には演奏の抜粋が流れ、復習ができるようになっている。
#94 復活で唐突に終わってしもたこの番組、面白くてためになったけど再放送も復活も無い。諸行無常の人生なれど俺は全タイトル所有、折にふれて再鑑賞したり時にはお裾分けしている。有限の生を心ゆくまで愉しみたし。
好きやねん マーラー 「復活」
10年日記アプリを4年ほど前から愛用している。
この日記の特徴は、過去の同じ日付の日記が並べて表示されるところです。1年前の今日、2年前の今日など、その日の日記が10年分表示されます。
昨日もブログを書いた後で10年日記を顧みたら
2017年今日の日記から
— 土曜日 (@doyoubi) 2020年1月10日
好きやねん復活、去年は関西音楽大学合同演奏会、そして今年は京大復活、バーンスタインを探したが見つからずインバルで聴いた
ワルターがあるやんけと検索したらあったあった→コロンビア交響楽団ステレオ。聴き始めたら熱気とオーラ。インバルとは違う。やっぱ、昔の人は偉かっ pic.twitter.com/C5r279t8gj
そこで今朝はワルター復活NYフィル←コロンビア響を探したが見つからなかった。
エミリア・クンダリ(ソプラノ)
モーリン・フォレスター(アルト)
ウェストミンスター合唱団
ニューヨーク・フィルハーモニック
ブルーノ・ワルター(指揮)
録音時期:1958年2月17,18,21日
録音場所:ニューヨーク、カーネギー・ホール
録音方式:ステレオ(アナログ/セッション)
昨日、このアルバムを見つけた際にこんな批評を読んでしまったせいか
ともあれ、「復活」といえば、80年代前半にアバド&シカゴ、メータ&ウィーン、ショルティ&ロンドン響あたりの演奏で学習した私としては、この「鄙びた」としかいいようがないマーラー演奏はけっこう新鮮だ。 https://t.co/M8ZURbuCab
— 土曜日 (@doyoubi) 2020年1月10日
それともイオン株主優待等雑念検索したりのせいか些か大時代的鈍重などとも感じたが終楽章、その切々さ「生きたい、でもいつか死ぬのは必然」に感じ入った。ラトルの録音も見つけてあったのでワルター終演後ラトル聴き比べと思ったりもしたがグッと我慢。
明日があることの嬉しさ冬満月
を得た。
そして聴いたのはパルティータ1番変ロ長調グールド。
マーラー の肥大自我を味わった後のバッハの無私は格別。生きちょるだけで丸儲けや。
そこでついでに昨日勉強「神の数式 完全版」
第3回 宇宙はなぜ始まったのか~残された“最後の難問"~
成果ツイートを貼っておく。
「神の数式」第2回:宇宙はどこから来たのか - とね日記
— 土曜日 (@doyoubi) 2020年1月10日
しかし一般相対性理論には落とし穴があった。これはホーキングによって指摘、ブラックホールの中心では重力は無限大になり「特異点」と呼ばれ、特異点では空間のゆがみは無限大になり、計算不能になってしまう。 https://t.co/JUydtv6R44
「神の数式」第2回:宇宙はどこから来たのか
— 土曜日 (@doyoubi) 2020年1月10日
無限大の問題は素粒子を「点」と扱うため、2つの点を近づけていくと距離がゼロになってしまう。
素粒子を輪ゴムのような形の弦だと仮定→この問題が解決。弦には拡がりがあるのでその間の距離は有限の大きさ、無限大の問題は解 https://t.co/JUydtv6R44
肥大自我→無私→神の数式と今朝の幸せに感謝。
漫然雑念シェーンベルク
今朝は
ポリーニ・コレクション~20世紀音楽編(6CD)からシェーンベルク
・3つのピアノ曲
・6つのピアノ小品
・5つのピアノ曲
・ピアノ組曲 Op.25
・ピアノ曲 Op.33a
・ピアノ曲 Op.33b
録音:1974年5月 ミュンヘン(ステレオ)
・ピアノ協奏曲 Op.42
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
クラウディオ・アバド(指揮)
録音:1988年9月 ベルリン(デジタル)
1時間余りを寝落ちもせず漫然雑念謹聴。高齢者講習通知が来やがったニャロメ、今日10日はポイント5倍イオンに行くか、へたれトランプのお陰で市場落ち着きしこり高値ドル円ポジション昨夜で全て解消慶賀等々。そうかシェーンベルクはこの脈絡の無さを愉しめばいいのか深海底に潜むエイになった気分で、まあとにかく押し付けがましいところが全く無いのがイイ。ベートーベン には申し訳ないけど耳タコ交響曲7番より余程有意義な暇潰しであった。
さて、その有意義暇潰し雑念主力は神の数式
第2回 “重さ"はどこから生まれるのか~自発的対象性の破れ 驚異の逆転劇。
神の数式 完全版 第2回「重さはどこから生まれるのか ~自発的対称性の破れ 驚異の逆転劇~」
— 土曜日 (@doyoubi) 2020年1月9日
右と左を決してごちゃまぜにしないという自然界が持つ美しさは「カイラル対称性」と名付けられました。カイラルとは手のひらという意味です。 https://t.co/bH2g6V58ZW
NHK-BS1 神の数式 完全版- とね日記
— 土曜日 (@doyoubi) 2020年1月9日
カイラル対称性が自発的に破れることによっと右巻きのクォークと左巻きの反クォーク(または左巻きのクォークと右巻きの反クォーク)がペアになり、その異常なペアが無数に生じて空間を満たす。(クォークペアの沈殿)これが真空の正体 https://t.co/FV46WF8O9w
NHK-BS1「神の数式 完全版」 - とね日記
— 土曜日 (@doyoubi) 2020年1月9日
電子やニュートリノの質量の謎はヒッグス粒子という「都合のよい粒子」を想定することから始まったこと、そしてヒッグス粒子が存在すれば自発的対称性の破れがおこり素粒子(電子、ニュートリノ、W+粒子、W-粒子、Z粒子)は重さ https://t.co/FV46WF8O9w
自発的対称性の破れ南部陽一郎と都合の良いヒッグス粒子想定ワインバーグが肝やったなあ。しかし、自発的対称性の破れの原因、理由がようわからん。番組では
NHKのデータ放送で「神の数式」を見始めたた止まらなくなった。神の設計図には「美しさ=対称性」があり。最初、世界はその設計図のとおりに創造された。が、「自発的対称性の破れ」により美しさは崩れ、世界には「重さが生まれた」。なんて、おもしろいんでしょう…と思う私はなんちゃって数学科。
— ChikaISM (@ChikaISM) 2018年5月3日
などと神の設計図と自然との齟齬と文学的お茶濁しで逃げていたがそれでは気が済まぬ。そこで
。「対称性の自発的破れ」の説明でひとつの章を費やしており、ここさえ理解できればさらにうんと面白く読めるはず。南部博士がいかに天才かを教えてくれる良書だ。https://t.co/2h0PCQYvv2 pic.twitter.com/GJLSKVDyN5
— 土曜日 (@doyoubi) 2020年1月9日
購入決断。5 の日ヤフーショッピングで買おう。ポイントコレクション大好き。
物理学も音楽も心のモデル化
録画しておいた神の数式第一回を昨日勉強。
第1回 この世は何からできているのか~美しさの追求 その成功と挫折~
第2回 “重さ"はどこから生まれるのか~自発的対象性の破れ 驚異の逆転劇~
第3回 宇宙はなぜ始まったのか~残された“最後の難問"~
第4回 異次元宇宙は存在するか~超弦理論“革命"~
この番組、以前にも見たような気もするがツイートにもブログにも何ら痕跡が残っていないのでそれではならじと日記に書く。
ネット検索して見つけた解説記事から今回一番参考になった部分をまず、コピペさせて頂く。
ディラックは特に「数式の美しさ」にこだわっていた。その当時、素粒子はまだ電子しか見つかっていず、それがマイナスの電気を帯びていることがわかっていた。また電子はこの時代に見つかったばかりのシュレディンガー方程式に従って運動していることがわかっていた。しかし、この方程式を使っても解明できない問題が残っていた。それは電子のエネルギーについて、電子が自転(スピン)について、電子が磁石のような性質をもっていることなどの問題だ。なぜ自然はそのような性質を電子に与えたのか?物理学者たちはその数式を求めたがまったく歯が立たなかった。
それまでの物理学者たちは実験や観測結果を数式に置き換える方法をとってきた。けれどもディラックの方法はそれとはまったく違い、「物理法則は数学的に美しくなければならない。」という自分の美的感覚にしたがって数式を導くものだった。「美しさ」は人によって違う曖昧な概念だ。しかし物理学者たちが考える「数学的な美しさ」ははっきりとしている。それは「数式が対称的である。」ということなのだ。
ここでいう対称性とは回転対称性、並進対称性、ローレンツ対称性などの事だが、平たく言うとどこでもいつでもどの視点からでも成り立つ対称性ということだ。つまりディラックは電子を数式にモデル化するに際してどこでもいつでも運動している誰からでも成り立つ対称性をモデルのルールとして採用したのだ。
これが分かったのが大収穫。番組は数式の中身に入ることは避けて人物で描く物理学発展史ドラマとして描く。以下、上の記事を参考コピペさせて頂いた備忘ツイート。
「神の数式」第1回:この世は何からできているのか - とね日記
— 土曜日 (@doyoubi) 2020年1月8日
ディラックの方法はそれとはまったく違い、「物理法則は数学的に美しくなければならない。」
物理学者たちが考える「数学的な美しさ」ははっきりとしている。それは「数式が対称的である。」ということなのだ。 https://t.co/3SdC0gnw6Z
「神の数式」第1回:この世は何からできているのか
— 土曜日 (@doyoubi) 2020年1月8日
対称性にはこのほか「ローレンツ対称性」というものがある。これはアインシュタインが導いた特殊相対性理論によると「時間と空間は同じもの」という解釈がなりたち、つまり4次元時空の対称性をあらわしているものだ。 https://t.co/3SdC0gnw6Z
「神の数式」第1回:この世は何からできているのか
— 土曜日 (@doyoubi) 2020年1月8日
ディラックが研究のもとにしたのは「シュレディンガー方程式」。この数式には時間をあらわすtが1つ、空間をあらわすxが2つ書かれている。時間と空間は同等に扱われていないので「ローレンツ対称性」はもっていない。 https://t.co/3SdC0gnw6Z
解説:NHKスペシャル「神の数式」第1回:この世は何からできているのか - とね日記
— 土曜日 (@doyoubi) 2020年1月8日
朝永によると電子の無限大のエネルギーという矛盾を解決する方法が見つかったのだという←繰り込み理論。朝永振一郎はこの業績によって1965年ノーベル賞を受賞。
https://t.co/3SdC0gnw6Z
「神の数式」第1回:この世は何からできているのか - とね日記
— 土曜日 (@doyoubi) 2020年1月8日
物理学者のヤン。彼は強い核力と弱い核力の数式を追い求めていた。彼がよりどころにしていたのはもちろん「対称性」である。この数式はゲージ対称性の発展形であり「非可換ゲージ対称性」という超難解なものだ https://t.co/3SdC0gnw6Z
「神の数式」第1回:この世は何からできているのか - とね日記
— 土曜日 (@doyoubi) 2020年1月8日
誕生直後の宇宙は設計図どおりの対称性をもち、あらゆるものに重さはなかった。その後、自発的対称性の破れによって重さが生じる。つまり物質ができ、星間ガスから恒星が、恒星が集まって無数の銀河ができた。 https://t.co/3SdC0gnw6Z
よし、これで自発的対称性の破れ→物質と重量を生み出し星が出来て星のかけらである生命→人間への道筋を俯瞰できるようになった。今日は番組第2回 “重さ"はどこから生まれるのか~自発的対象性の破れ 驚異の逆転劇~を勉強しよう。
さてそこで思うのだが、物理学は自然現象のモデル化、数式は言わば作曲された楽譜。番組が避けたのは楽譜の中身←だって楽譜だけで音楽を聴くのは素人には無理だしそもそも音楽にするためには楽譜の解釈→演奏が必要。
番組が数式の中身を語るのを避けたのは音楽史を音楽は置いといてバッハ、ハイドン 、モーツァルトなどの作曲家を語ることによって音楽史のイメージを持たせようなものだ。
物理学が自然現象のモデル化であるのと同様に、音楽は心の中のモデル化と考えられる。ディラックが電子のモデル化にあたって対称性を軸にしたのと同様な例を考えると、ベートーベンが音楽の軸に啓蒙思想を取り入れたことだろう。以降、ロマン派は個人の生き方や感情、更には友愛、平和や戦争など社会を語る。
そしてもう一つの例はシェーンベルクの十二音技法。彼はロマン派の行き詰まりを調性から脱却、十二音を平等に扱うことで打破しようとした。
以上、エラソーな事を書いたけれど実は物理学を数式で語る能力は無いしシェーンベルクの音楽もようわかってない。音楽も物理学もモデル化、モデル化にあたっては哲学が大切。ディラックは美=対称性を哲学とした、偉人である。賢そうな顔をしてるよ。