天井桟敷日記

「天井桟敷からの風景」姉妹版

異次元への道←超ひも理論

橋本幸士「超ひも理論をパパに習ってみた」 読了。

ポイント1 次元とは何か
 ・空間の次元を数えるには、力の大きさが距離の何乗
  になっているか見れば良い。
  --万有引力やクーロンの法則は、距離の逆2乗に
     比例する。これは3次元空間だから。
http://app.f.m-cocolog.jp/t/typecast/2028138/2035570/111592699
なるほど。力が一次元世界では拡散しないから距離の逆0乗に比例する→減衰しない。二次元世界では距離の逆1乗すなわち距離に比例して減衰、三次元世界では逆2乗に比例減衰する。電磁気力がその通りに減衰するから我々の世界は三次元と証明出来た。

ポイント2 開いたひもと閉じたひも
重力子をのぞく他の全ての基本粒子は開いたひもで、その両端が時間を除くと9次元空間に浮かぶ、3次元の膜(ブレーン)にしばりつけられている。
この世界像をブレーン世界の描像と呼ぶ。
だとすると、そのブレーンに垂直方向に、結構大きな隠れた次元があってもそちらに行けないので気づいていないだけなのかも知れない。
重力子だけが閉じたひもで、ブレーンにしばりつけられていないので、余剰次元の方向に飛んでいける。
http://www-jlc.kek.jp/ilcphys/hep_intro/brane

f:id:doyoubi92724169:20170614164903p:imageブラックホール余剰次元への通路かもしれないんだって。このあたり映画「インターステーラー」が面白く参考になるかも。

おおまかなイメージだけは掴めたなあ。まだまだ勉強するぞ→超ひも理論

カラダとアタマとココロ

f:id:doyoubi92724169:20170613044436j:image

満69が1日過ぎて我が主たる関心はカラダとアタマとココロ。
カラダはジム、ランニングマシンで時速6km×4km40分、汗かきながら歩く。申し訳程度に筋トレの後、自転車マシン4km13分程度だから時速16kmは超えているな。着替えてプールへ、おばさま達のスイミング教室やガキ教室に邪魔されなくて泳げる時は平泳ぎ25m往復6回、サウナで仕上げ。
アタマは屁理屈哲学や仏教その他読書。あ、物理学も→橋本 幸士
超ひも理論をパパに習ってみた 天才物理学者・浪速阪教授の70分講義 (KS科学一般書)http://blog.goo.ne.jp/ktonegaw/e/05d22e7299a4b30b24efb05cf01176a280歳までには超ひも理論を理解出来るかな。
80歳までには理解出来るかな超ひも理論、次元なんか幻だそうな。それから藤井四段に刺激されてEテレ将棋番組も毎週録画し始めた。屁理屈と物理学と将棋で鍛える我がアタマ。
そして最後、ココロは映画と音楽→テレビとウォークマンスマホ×イヤホン。音楽はライブが一番、されど予習も怠らずアップルミュージック。クラシックカフェ等FM録音→ジム消化。
映画→うそかまことかこんな人生、生活があるんだと今はフールーお試し「レディジョーカー」上川隆也の仏頂面。そうそう昨日WOWOW解約通知電話。来月からはネットフリックスVOD一本←スマホタブレットでも切れ目なく楽しめるのがコンビニなんよね。
かくして安穏に七十代過ごせれば慶賀。カラダとアタマとココロと分別すれど最後は心身一如そして生死不二、一期一会が人生なり。

激動の七十代は堪忍や

f:id:doyoubi92724169:20170612092112p:image満69になってもた。
二十代は無我夢中、三十代はこき使われて四十代は勝負!と思いつつも勝負も出来ず相手にもされず漫然と五十六十。来年は七十になるんだなあ。
五十、六十を過ぎても自覚的には四十代と変わらず、いや、三十代かもしれない。
しかし七十代はちゃうでえ、昨日の延長にはあらず、多分。

癌にも認知症にも脳梗塞にもならず七十代を過ごせれば御の字。そのために体力維持→ジム通い、好奇心維持→テレビっ子を継続所存。明日が昨日の延長でありますように。

思い出だけが人生だ

一昨日は京都ドライブ→昼間は清凉寺拝観、渡月橋、まだ時間があったのでがら空きの嵐山高雄パークウェイで昼寝、保津峡展望。そして夜はメジューエワのリサイタル。

いい演奏会だった。メジューエワは暗譜で弾くと音楽が自己中心的になってしまうとの理由で必ず譜面を見ながら弾く。それに気がつかずに最前列右翼席をとってしまったために彼女の表情等十分に見られなかったのが少々残念だったが、ライブは格別、スタインウェイ名品の華やかな音を堪能した。また、メジューエワの打鍵が時に強烈なのも驚き、予習した彼女のCD20年前録音では味わえない強烈打鍵が印象に残った。

ただ残念なのはフライング拍手。下の記事の方に全く同感だ。

 それにしても昨夜は一曲目からどうも拍手がフライング的なのが気になりましたが、最後の第32番はとうとうまだ演奏が終わらない内から拍手する人もあって残念でした(そんなに紛らわしい終わり方か?)。こういうプログラムなら、特に完全に音が消えるまで待ってほしいと思うのはそんなにわがままじゃないと思いますがオーケストラ公演以上にフライング気味でした。
http://blog.livedoor.jp/raimund/archives/70968898.html

まあこれもライブの思い出の一つ、と納得しておこう。アップルミュージックを活用してライブの予習、ライブでは演奏者のオーラをたっぷり吸収、脳に思い出を刻み込む、思い出だけが人生だ。写真は京都から帰宅して撮った満月。新しいカメラのおかげで俺でもこんな写真が撮れる慶賀。f:id:doyoubi92724169:20170611044239j:image

昇華されて静かに終われば御の字

f:id:doyoubi92724169:20170609053411j:image2017年6月29日(木)18時30分開場 19時00分開演
●出演者
ハーゲン弦楽四重奏団
 ルーカス・ハーゲン: 1727年製ヴァイオリン「パガニーニ
 ライナー・シュミット: 1680年製ヴァイオリン「パガニーニ
 ヴェロニカ・ハーゲン: 1731年製ヴィオラパガニーニ
 クレメンス・ハーゲン: 1736年製チェロ「パガニーニ
●演奏曲目
ショスタコーヴィチ弦楽四重奏曲 第3番 ヘ長調 op.73
ベートーヴェン弦楽四重奏曲 第16番 ヘ長調 op.135
ショスタコーヴィチ弦楽四重奏曲 第14番 嬰へ長調 op.142
http://www.izumihall.jp/schedule/concert.html?cid=1444

いずみホールでこのチラシを見た時→即チケット購入。20日後に演奏会が近づいてきたのでリマインド予習。

ショスタコ3番、これは前から8番に次ぐ名曲だなぁと思っていた。そもそもショスタコの弦四はライブで2回聴いてる、モルゴーアQとその前に名前忘れたロシアの若いQ。図書館でボロディンQの全集CDをダビングして持っている。結構聴いているのに脳内イメージ未だ未完成。

次にベートーヴェン16番。不純物が全く無い完成形音楽←ショスタコには生な感情その他不純物要素たっぷり、だからそう感じたか。

最後にショスタコ14番。演奏会順序はこれでいいのかなあ、完成形音楽をラストにした方がいいのではないか、この曲どんなエンディングだっけ、派手に終わるのがいいなぁ中途半端な気持ちで演奏会から帰るの嫌だなどと雑念しながら聴いたら、最後は昇華された静かな終わり方だった。

人生、完成形で終わるなんてあり得ない。昇華されて静かに終われば御の字。ライブまでにあと数回予習するだろう。弦四ライブは音楽の形が全て見えるからいい、それを全部聴き取れるか否かは聴き手の問題である。

罪と赦しもいいけど智慧と慈悲

昨日、バッハクライス神戸→カンタータ初体験のBGM予習×映画ジャストウォッチ検索等したが思いのほか低記憶度だったので、今朝は対訳ドイツ語聞き取り訓練しながら予習。

予習して思うのはキリスト教は罪と赦しの宗教ということ→信じる者は救われる。やっぱりこの宗教には腰が引けてしまう。

これに対して仏教は智慧と慈悲。今月の100分名著が維摩大乗仏教がテーマなのでコピペする。

病気になった維摩を見舞うようにすすめる釈迦だが、誰一人それにこたえる弟子はいない。それもそのはず、維摩は、かつて釈迦の十大弟子全員をその鋭い舌鋒でことごとく論破していたのである。その論点を一つ一つ紐解いていくと、大乗仏教に解かれた重要な教えの数々が明らかになる。浮かび上がってくるのは、「自己分析」と「他者観察」という大乗仏教ならではの二つの手立て。この二つをしっかりやりきり、点検を続けていけば、人は決して独りよがりな偏りには陥らないのだ。第二回は、維摩と釈迦十大弟子や菩薩たちとの議論を通して、「得意分野」にこそ自分の弱点が潜んでいることや、自分との向き合い方の極意を学んでいく。
http://www.nhk.or.jp/meicho/famousbook/66_yuimakyo/index.html#box01

来週放送第2回では智慧の身に着け方を教えてくれるようだ。信じる者は救われるなどとアホな教え→ゴメンねクリスチャンの皆さん。ついでに言うと三田誠広「釈迦と維摩」が俺には凄くためになった。絶版みたいだから図書館で探してください。f:id:doyoubi92724169:20170608050123j:image