天井桟敷日記

「天井桟敷からの風景」姉妹版

自力の果ての他力への憧れ

来週はメジューエワ京都ライブ→ベートーベン後期三大Pソナタ。ベートーベンの最後のソナタ三曲を一度に聴けるのでチケット購入。そこで露リマインド予習。

op109ホ長調→だいぶ以前にPゼルキンをテレビで聴いたのが後期ソナタとのご縁の始まりだったかも。そこで彼の録音を探して聴き始めたが録音が隔靴掻痒、音が悪い。途中放棄してバックハウス、これが意外と面白い、結構主観的暴走感あり。次いでバレンボイム、大家的バランス感覚重厚安定感あり。

op110変イ長調バレンボイムを聴いた後で若かりしメジューエワ、昨日も聴いたのだがバレンボイムの後でも素晴らしい、煌めきがある。1998年の録音、その後の成熟→ライブ楽しみ。

op111ハ短調バレンボイム、op111はエッセイ風ではなくしっかりした構成小説風。ベートーベンが到達した境地を聴く思い。自力の果ての他力への憧れ→諦観というべきか。後期弦四も同様諦観を感じ、我が一生モノの音楽だ。

ここまで書いてネットでライブ曲目確認したら27番も演奏するじゃん→グールドのヘンテコ三大ソナタ演奏と合わせて後日リマインド所存。

グールドと言えば昨日ネットフリックスお試し鑑賞した「グレングールド 天才ピアニストの愛と孤独」が面白かった。グールドの人生俯瞰、そして友人の妻との不倫の恋が切ない。

グレン・グールドの秘めた恋~遺品から見つかった恋文とルーカス・フォス夫人との恋愛
https://plaza.rakuten.co.jp/mamakuncafe/diary/200710030000/
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キリスト教を作ったのは誰か

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マタイ第2部ガーディナー対訳ドイツ語聞き取り訓練終了。こんなこと書くと罰が当たるかもしれないが、リヒターよりも素直でいい。とりわけバスのソロ、リヒターではフィッシャーディスカウがうま過ぎて鼻につく、それがガーディナーにはない。うま過ぎるのは音楽の真実の邪魔ということだ。

それはともかく第2部のテキストを読むと、キリスト教はつくづく裏切りを悔いて神の赦しを乞う宗教だ。ピラトが群衆に赦免するのはどちらだ、イエスバラバかと訊くと群衆は不協和音、大声でバラバと答える。

遠藤周作によると、バラバはユダヤ独立武闘派、イエスは穏健心の天国派、一時の人気も醒めて群衆は独立武闘派にメシアを見たとのこと。いっときの感情で社会の多数派が間違った方向に走るのは今も昔も同じだ。

それにも拘らずイエスは従容と十字架につけられる。それが聖書の預言の実現だからと。
エスの死後、弟子たちはようやく気づく、イエス神の子羊だったと。いや実はイエスを売ったのはユダだけではなく弟子全員だったと遠藤周作は言う。弟子たちはイエスを売ることでユダヤ教体制派と自分たちの安全を取引したのだと。

その象徴的場面がイエスを否認したペテロの号泣。号泣の後の名アリアはライブまでにドイツ語を覚えたいな。

Erbarme dich, mein Gott,
憐れんでください、私の神よ!
un meiner Zähren willen !
私の涙ゆえに、
Schaue hier.
私をご覧ください。
Herz und Auge weint vor dir bitterlich.
心も目もあなたの御前に激しく泣いています。

遠藤周作説に従えば、キリスト教はなんという壮大な虚構なのかと思う。処刑させることでイエスメサイア=キリストに仕立てることまでは意図していなかっただろうが、イエスを裏切った弟子たちの改心回心がキリスト教を作ったのは間違いなかろう。

遠藤周作説については下のリンクを参考にどうぞ。

遠藤さんが疑問に思うのは、なぜ、一部始終を見た弟子が逮捕されなかったのかということです。弟子のペトロ、またはペトロに代表される複数の弟子たちはユダヤ教会と取引し、いわばイエスを売ることで身の安全を得た可能性があることを遠藤さんは指摘しています。

http://historiajaponica.com/2016/07/20/遠藤周作『イエスの生涯』で福音書をもう一歩深/

マタイ→復活→モーツァルト

マタイ受難曲ドイツ語聞き取り訓練していたらマーラー復活を聴きたくなった。イエスの受難物語→死を淡々と語るバッハ。ロマン派だったらこれを壮大華麗な音楽にするだろうなあと思ったらマーラーを聴きたくなったのだ。

そこでマタイ第1部ガーディナーの後はマーラー復活クレンペラー。多分、途中ウトウトしただろう、でも最後はきっちり目覚めて
O glaube, mein Herz, o glaube:
この曲、キリストの復活を歌っているという説が主流みたいだが、俺にはそうはとれない。キリストではなく個々の人間の復活だと思う。死んだらタダのゴミではないよと言ってくれてるのだ。

おお、信じるのだ。我が心よ。信じるのだ・・・
何一つ失われたものはない!
かつて汝の憧れしものは汝のもの、そう、汝のもの!
汝の愛せしもの、汝の戦いしものは汝のもの!
http://d.hatena.ne.jp/wagnerianchan/touch/20110517/1305637122

でも実際、死ぬときにこの曲を聴くのはシラジラしいか、いや、音楽を聴ける状態ではないだろう、多分。

そこでモーツァルトPソナタ全集へブラー。一瞬の煌めきの積み重ね。この歳になってようやくモーツァルトの味がわかったぜ。f:id:doyoubi92724169:20170601060134j:image

音楽は瞬間の煌めきの積み重ね

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阪大ワンコインコンサート「モーツァルト 影の世界」予習。モーツァルト短調の曲をメインとする演奏会。

モーツァルトは数多くの作品を残したが、その多くは長調で書かれている。時に輝かしく、時に雄々しく、、。数少ない短調で秀逸な作品が多い。まるで輝かしい長調の作品だけが本来の自分では無いんだ、聞いてくれ、といっているかのような。
https://sites.google.com/site/concertb252/2017niankonsatosukejuru/hashimotokyoko2017

モーツァルトって空虚な形式美と思い込んでいたが、今回予習して認識転換→瞬間の煌めきに人生の真実を見せてくれる。グルダの弾く幻想曲ニ短調KV397を貼っておく。
https://youtu.be/ESRwx36lvOM

この曲でいちばん私が好きなところは,物憂げな第2部分が終わって,明るく軽やかなニ長調の主題がそっと出てくる「その瞬間」である。数え切れないほどこの曲を繰り返し聴いてきたが,ここのところは何度聴いても感動する。暗から明へのこの瞬間を演出するためだけに,モーツァルト短調の前半部分を書いたのではないかと思われてくるほどである。
http://www.zephyr.dti.ne.jp/~tmiyaji/K397.html

音楽は瞬間の煌めきの積み重ね。だから、聴き手も瞬間に耳を澄ませねばならない。阪大ワンコインコンサートのお陰で大切なものを拾えた。

一番好きな音楽は

一番好きな音楽は?と訊かれたらマーラー「復活」と答える。マタイでもヨハネでもない。やっぱりマーラー、その自己中心性が俺にはぴったりなのだ。
だから「復活」ライブがあればプロアマ問わず聴きに行く。飽きることはない、一生モンだなあ。
今回もオーケストラ千里山なるアマオケの公演。
http://orch-senriyama.net/

今朝はバッハクライス神戸ライブ予習でドイツ語聞き取り訓練の後に、パーヴォ復活←時間節約のために声楽が入る4楽章、5楽章後半ピックアップ。そのヒロイズム、自己中心的でありながら神を求めるロマンチシズムが
俺にとってはバッハにない魅力なのだ。
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マタイで草臥れた

f:id:doyoubi92724169:20170529060011j:imageマタイ初ライブに向けてドイツ語聞き取り訓練予習→一気聴き、流石に草臥れた。リヒター1958年。

ライブは来月25日なのでまだ時間的余裕はあるが、こんなこと、そんなに何度も出来ぬ。そこで次回はガーディナーの新録音2016年にする→プレイリストに登録済み。

ガーディナー&イングリッシュ・バロック・ソロイスツ、モンテヴェルディ合唱団 2016年最新録音!
満を持して挑んだコンサート・ツアーを締めくくった最高のライヴを収録!
http://www.hmv.co.jp/news/article/1701120032/

今、ヒナステラ弦四2番を流してるので、これが済んだらガーディナーをチラ聴きしよう。明日をも知れぬ命、今ここだけが人生だ。

ヘンデル「メサイア」体験

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ヘンデルは苦手→積極的に聴こうとは思わない作曲家だが、ドイツレクイエムを西宮芸文に聴きに行った時に入手したチラシで教会でのメサイアコンサートがあることを知り、何事もご縁と昨日、聴いてきた。夙川聖書教会。

一部の曲目のカットはあったが二度の休憩を挟んで第1部から第3部まで、日本語上演、プログラムには歌詞と聖書出典まで記載されていたのでメサイア全貌がよくわかった気分になった。20人の歌手の皆さまは全員クリスチャンとのこと、発声はさておき、合唱はよく練習されたのだろう、大きな声で素敵に調和していた。オーラを沢山頂いた上に、ハレルヤでは起立して合唱に参加、演奏終了後の讃美歌斉唱でも思い切り歌わさせて頂いた。

ヘンデルメサイアを極めて短期間で作曲したそうだが、宗教的動機だけで作曲したのだろうかとネット検索してみた。

ジェネンズがヘンデルに作曲を勧めた理由は、決して教会での礼拝用に用いるためではなく、あくまでオペラと同じく興行用で、ジェネンズ自身が娯楽のための作品であると記しているそうです。また、ヘンデルがこれによって金儲けしようともくろんでいたことも間違いありません。
http://www.prmvr.otsu.shiga.jp/ensemblevoce/Handel/Handel5.html

人生=事実+物語
物語=信仰も大事だが事実=金も必要だからヘンデルが金儲けのために作曲したのも当然。バッハも生活のためにカントール勤めをしたのだから同様。蓼食う虫も好き好き、音楽の真実も好き好きである。