天井桟敷日記

「天井桟敷からの風景」姉妹版

死に喜びを見いだす境地には?

カンタータBCJ巻21復習
Disc21
ライプツィヒ時代1724年のカンタータ
第65番『彼らはシェバからやって来る』BWV65
第81番『イエスは眠りたもう、私の望みはどこにあろうか』BWV81
第83番『新しき契約の喜びの時よ』BWV83 
第190番『主に向かって、新しき歌を歌え』BWV190(復元稿)
ロビン・ブレイズ(C-T) ジェイムズ・ギルクリスト(T) ペーター・コーイ(Bs)
録音:2002年2月

BWV83と190が面白い。83はこの世を厭い死に喜びを見るカンタータキリスト教って見方によれば厭世的なところがある。仏教はもっとはっきり四苦八苦→生老病死、人生は苦しみという事から出発するからスッキリわかりやすい。

BWV190は新年カンタータ、断片しか楽譜が残っておらず復元して演奏されているが祝祭的名曲。でも、今年もキリストいのち、キリストによってのみ喜びがあるというのは少々納得しかねる。そのうち遠藤周作「深い河」を読むのでこのあたり何か発見期待。

喜びや希望は生きていればこそ。死に喜びを見いだす境地には絶望的に遠いなあ。

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バッハとマーラー、没我と自我

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カンタータBCJ巻20復習→先日初聴時は起伏陰影ドラマがないなどとイチャモンつけたが今回はさにあらず、素直な聴けた。バッハは要するに没我、南無阿弥陀仏と生かされていることをひたすら感謝しているのだ。浄土教妙好人のごとく仏に素直に感謝する信心と思えばいい、それをイチャモンつけてはならぬのだ。

カンタータ対訳ドイツ語を拾いながら聴いていたら、昔学生時代、名曲喫茶カッコウつけて散々聴いたマーラー大地の歌」を思い出した。
そこで歌詞対訳
http://www.tokyo-harusai.com/news/news_730.html
を見つけて思い出のクレンペラーを聴く。

オットー・クレンペラーの指揮したフィルハーモニア管弦楽団(名称変更の時期を挟んでしまったため、後半のセッションはニュー・フィルハーモニア管弦楽団)とのマーラー大地の歌」のディスク。生真面目で純文学的な演奏で、極めて特徴深いが、一度聴いたら耳から離れないような好演だ。ことに、レコーディング終了後に事故死してしまったというテナーのヴンダーリヒの独唱が凄い
。もちろん、若きクリスタ・ルートヴィヒの歌う終楽章のぞっとするような静謐さを含んだ歌唱も素晴らしいが。……また、録音の良いことも驚くべきディスクであることを付け加えたい。
マーラー:交響曲大地の歌https://www.amazon.co.jp/dp/B00005Y14B/ref=cm_sw_r_cp_api_vUO7yb5MWB0M8

意味は殆ど分からないがドイツ語歌詞をきちんと拾えた。言葉を聞き取れば音楽の受け止め方も違ってくると実感しつつもやっぱり終楽章、切々たるものがある。

この世に別れを告げる際に自我はかぐわしき大地を賛歌するのだ。

オルガン曲の不自然不可思議

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今朝はヴァルヒャとグールド。ヴァルヒャは10枚組のバッハ オルガン曲全集から
12.プレリュードとフーガ ト長調 BWV.541
13.プレリュードとフーガ ロ短調 BWV.544
14.プレリュードとフーガ ヘ短調 BWV.534
15.プレリュードとフーガ ハ短調 BWV.546
4曲が限度だな。オルガンは圧迫感あり、疲れる、草臥れる。
そこで、グールド→フランス組曲4番。こちらは比較的軽いけど十分にポリフォニーを楽しめる。

では何故、草臥れるオルガンを聴くのか。砂川しげひさが「のぼりつめたら大バッハ」に書いてたけど、オルガン曲は切れ目がないから嫌いだって。管楽器は息に限度があるからどこかでフレーズは途切れなければならない。弦楽器も弓の長さという限界がある。ところがオルガンは鍵盤を押し続ければ無限に音が続く。その音の持続が砂川は嫌いだそうな。

たしかにそうだなあ。音楽は呼吸、呼吸しなくても音を持続できるオルガンは不自然といえば不自然。その不自然さが神にぴったりとバッハは考えたかも。だが、それにしてもこんな複雑なポリフォニー音楽を教会礼拝でよく聴かせたものだ。あんまりケッタイな音楽を教会で鳴らせるなとバッハは叱れられたと何かで読んだ記憶あり。

バッハのオルガン曲は200曲ぐらい残っているらしいが、グールドが手を出さなかったのも不思議。足鍵盤が活躍するのでピアノでは演奏不可能だからかなあ。

不自然不可思議なオルガン曲、ホニャララとフーガを朝からスマホ×イヤホンで聴く。ほんにおまえはケッタイな人。

醜くなるほど美しく

たまたま録画していた番組「おんがく交差点」で茂木大輔山下洋輔の大ファンと聴き、意外な組み合わせにびっくり。ひょっとしたらとアップルミュージック検索したら茂木大輔見つかった。モーツァルトなう、もう少ししたら山下洋輔作曲無伴奏オーボエソナタ

【醜くなれ!…醜くなるほど美しく!?】指揮者やエッセイストとしても活躍するNHK交響楽団首席オーボエ奏者の茂木さんに、世界一難しい木管楽器といわれるオーボエの神髄を聞く。他の管楽器と比べてリードが小さく幅も狭いため、低音の演奏が特に難しい。美しい音を出すため吹くときに大きな圧をかけるので、顔が醜くなるほど頰を膨らませる。ドラマ『のだめカンタービレ』の音楽監修では、俳優に醜い顔を勧めたそうだ。
http://www.bs-j.co.jp/smp/program/detail/201704/23729_201704052330.html

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我がバッハヒストリー

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グールドでバッハ目覚め、もっとグールドを聴きたくて昨年8月、月額980円アップルミュージック、お陰でマタイ、ヨハネキリスト教体感した気分。そしてカンタータ全曲登頂中。

でも昨日のカンタータBCJ巻22 第20番『おお、永遠、汝、雷の言葉よ』BWV20みたいな死後世界物語なんか断固拒否。そこで宗教性も感じさせるオルガン曲がお気に入りとなりつつあり←冨田一樹凱旋ライブの功徳。

そこで今朝はヴァルヒャ10枚組から
ファンタジーとフーガ ト短調 BWV.542
ファンタジー ハ短調 BWV.562
パッサカリア ハ短調 BWV.582

昨日、妹が古希祝い会食を開いてくれた。俺が一番食ってたなあ。姪が大丈夫、80になっても元気ですと言うてくれた。さて10年後、我が身体と心と音楽は?

死後の幸せなんか要らない

f:id:doyoubi92724169:20170409060936j:imageカンタータBCJ巻22

第20番『おお、永遠、汝、雷の言葉よ』BWV20 

このカンタータはラザロと金持という説話、聖句を教会で教える際の曲のようだ。貧乏人ラザロと金持、死後2人の運命は逆転してラザロは幸せな宴席に、金持は永遠の炎に焼かれる。

歌詞の底本はヨハン・リストの作詞のコラール「おお永遠、そは雷の言葉」で、カンタータは牧師の説教を挟んで2つの部分からなり、第1部は無限に続くかと思われる終末の責め苦や災と、それに対する恐れ、惑いを取り扱い、審判のラッパで始まる第2部では現世の超克が勧められ、財貨への執着が戒められます。
http://okimideiko.blog.fc2.com/blog-entry-960.html?sp

財貨への執着を戒めるのはいいけど、死後の世界を持ち出すのはどうかなあ、人間死んだらタダのゴミ、だからこそ現世を現在をしっかり生きたいという俺の価値観に合わない。最後の審判とか死後の幸せとかこのへんがキリスト教の嫌味だなあ。

バスのアリアとか音楽はいい、歌詞を考え始めると音楽に躓く。歌詞のないオルガン曲を聴くとしよう。

種蒔く人、バッハ

カンタータBCJ巻21
Disc21
ライプツィヒ時代1724年のカンタータ
第65番『彼らはシェバからやって来る』BWV65
第81番『イエスは眠りたもう、私の望みはどこにあろうか』BWV81
第83番『新しき契約の喜びの時よ』BWV83 
第190番『主に向かって、新しき歌を歌え』BWV190(復元稿)
ロビン・ブレイズ(C-T) ジェイムズ・ギルクリスト(T) ペーター・コーイ(Bs)

録音:2002年2月

昨日の巻20はマンネリ気味で聴いたが、今日巻21はBWV81の嵐の描写、BWV190の祝祭的雰囲気と信仰アリアの対比が面白い。そして、昨日から始めたのはカンタータをひととおり聴いた後、オルガン×ヴァルヒャを聴くこと。今朝は

トッカータとフーガ ヘ長調 BWV.540

トッカータとフーガ(ドーリア調) BWV.538

を聴いた。沢山聴くと感銘が希薄化するので1〜2曲にしよう。

儀式音楽カンタータの後に抽象音楽オルガンを聴く、先日の冨田一樹凱旋ライブの熱い余韻を抱きしめながら。カンタータの信仰メッセージはオルガン曲の中に既に込められているような気がする。

彼は自筆楽譜の最後に「SDG」というサインを残しました。「Soli Deo Gloria」の略字で「神のみに栄光あれ」という意味です。弟子たちに教えるときにも、「音楽の目的は第一に神に栄光を帰し、そして、隣人に喜びを与えることだ」と繰り返し語ったと言われます。

http://www2.plala.or.jp/Arakawa/christian04.htm

俺が神を信じることはまずないだろうが、純粋な信仰はリスペクトに値する。バッハは俺にとって種蒔く人だ。

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